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ユグノー教徒・・・Deutsche Oper Berlin・・・2016/11/13 [オペラ]

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Musikalische Leitung Michele Mariotti
Inszenierung David Alden

Marguerite von Valois Patrizia Ciofi
Graf von Saint-Bris Derek Welton
Graf von Nevers Marc Barrard
Valentine Olesya Golovneva
UrbainIrene Irene Roberts
Tavannes / 1. Mönch Paul Kaufmann
Cossé Andrew Dickinson
Méru / 2. Mönch  John Carpenter
Thoré / Maurevert Alexei Botnarciuc
de Retz / 3. Mönch Stephen Bronk
Raoul von Nangis Juan Diego Flórez  
Marcel Ante Jerkunica
Bois-Rosé Robert Watson
Ein Nachtwächter  Ben Wager

 開演17時、途中30分の休憩が2回、終演22時・・・・ワーグナーなみの長さです。

 マイアベーアは初めてということで楽しみではありましたが、前半はコメディかショーのような部分があり、違和感と古臭い印象は否めませんでした。無論ミュージカルはまだない時代、オペラにミュージカル的要素があったのは自然なことなのかもしれません。当時流行ったグランドオペラということで、その後の作曲家に影響を与えたそうですが、これを聴いたことでグノーの『ファウスト』やヴェルディの『トロヴァトーレ』のオチャラケ部分も納得できてしまいました。

 しかし、長いアリアの作り方が実に巧妙で、アカペラやバイオリンとの掛け合いが印象的であり、前半のオチャラケから徐々に緊張感が高まっていくのは見事な作品です。そこにはもちろんマリオッティの作品全体を構築する上手さもあって、長いアリアでも決してリサイタルモードと感じることはなく、自然な流れで徐々に緊張感を高めることに成功していたに違いありません。

 2015年7月にスカラで聴いたときにペガサスの羽が小さくなったと感じてしまったフローレスですが、長いアリアでも高音を力強く決めまくり。やはり只者ではありません。ペガサスはペガサス、普通のサラブレッドとは違う次元を走ってます。などと考えながら聴いていたら舞台に巨大なペガサスが出現したのには笑ってしまいました。一瞬[猫]の発想がパクられたかと思ってしまいましたが、そんなわけはありません<(_ _)>
 ヴァランティーヌ役の人も好演していてフローレスとの重唱は聴きごたえ満点。
 ひときわ背が高かったのがマルセル役のジェルクニカ。この人はリセウの『パルジファル』に出演していて、その時は出演者全員似たり寄ったりの背丈で大柄な人だとは思いませんでしたが、やはりワーグナーも歌える人は大柄です。リセウの『パルジファル』でも好演してましたが、キャスト表を見なければ同一人物と分からないほど声の印象が異なり、素朴で誠実な印象がありながら力強さと意思の強さも伝わる歌いっぷりで好印象でした。

 この作品はサン・バルテルミの虐殺を元に創られたそうですが、演出はマイアベーアが生きていたころのように見えた時代設定でした。鑑賞したのはプルミエ初日ということで、カーテンコールは演出にだけブラヴォーに混ざってブーイングも少々ありましたが、いつの時代も世界のどこかでサン・バルテルミの虐殺を想起させることが起きているのではないか?ということを鑑みれば、時代設定は問題ではないように思えました。

 ここベルリンはフランスでユグノー教徒が迫害された時代、移民として受け入れたいう歴史があるそうです。アスパラガスを持ち込んだのも彼らだったとのこと。ユグノー博物館もあるので、次回行ってみようと思います。移民を受け入れるという姿勢は現代まで続く伝統でしょうか?移民がもたらす恩恵も知っている国ということかもしれませんが、事件が起こるたびに痛ましく、寛容であり続けることの厳しさも知っている国であるのは間違いありません。



シロエ・・・Opéra de Lausanne・・2016/11/11 [オペラ]

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Siroe Max Emanuel Cencic
Laodice Julia Lezhneva
Emira Roxana Constantinescu
Medarse Mary-Ellen Nesi
Cosroe Juan Sancho
Arasse Dilyara Idrisova

Armonia Atenea
Direction musicale et clavecin George Petrou
Mise en espace Max Emanuel Cencic
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 11月の旅行の最大の目的はこの公演。ユリアちゃんとディリヤラちゃん!

 以前アン・デア・ウィーンでコンサート形式で聴いて以来、同じメンバーで演出つきの公演があったら聞き逃してなるものかと意を固めてました。アラッセ役がディリヤラちゃんに変わりましたが、ディリヤラちゃんもハレの『アレッサンドロ』で聴いて以来、また聴く機会があればと思っていたので願ったりかなったり。

 ユリアちゃんもディリヤラちゃんも1989年生まれなのでまだ20代。
2人共小柄なので、衣装を身に着けた姿は中学生の学芸会かと思ってしまうような可愛らしさですが、2人共歌うと凄い!

 特にユリアちゃんはその声の豊潤さ、歌唱技術の見事さは既に旬に入ったと言ってもよく、その可能性はバルトリ以上という話も耳にしましたが、それも過言ではないと思えるほど。シロエを窮地に追いやる諸悪の根源であるラオディーチェ役ですが、可愛い外見にもかかわらず、豊潤な声はふてぶてしい熟女を彷彿とさせることもありました。

 ディリヤラちゃんは声は可憐な印象。今回は忠実な家臣とうことでヒゲをつけての男性の役とあって可愛すぎる声とのギャップが不思議な面白さになってましたが、心優しい忠臣という印象で今回も見事なアジリタ三昧。それほど歌う機会の多くない役だったのが残念に思えたくらいでした。

 また、古楽を聴くようになってから、おそらく一番聴く機会が多いのがテノールのサンチョ。剛柔ともに熟すといった感があって、どの役でも安定して好演しているので、ワーグナーにおけるユンのように何故かいつもいるという貴重な存在かもしれません。

 演出はタイトルロールのツェンチッチによるものですが、オケが舞台奥で演奏し、紗幕をはさみ、その前で衣装を身に着けた出演者が演技をしながら歌うというスタイル。
背景に映像が映し出され、セットは椅子とテーブルと敷物という簡素なものですが、衣装を含めて雰囲気のよいものでした。

 演奏のほうは大雑把ではありましたが、歌手の好演で十分。

 コンサート形式では見事なアジリタ三昧歌合戦という印象でしたが、演出があることによって歌手の人たちもより感情をこめて歌い、物語の信憑性が高い見応えもある公演になってました。

 この公演は2017年5月にヴィースバーデンで再演の予定です。

フィガロの結婚・・・Teatro alla Scala・・・2016/11/10 [オペラ]

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Conductor Franz Welser-Möst
Staging Frederic Wake-Walker
Il Conte Simon Keenlyside
La Contessa Diana Damrau
Figaro Markus Werba
Susanna    Golda Schultz
Cherubino Mrianne Crebassa
Bartolo/Antonio Andrea Concetti
Don Basilio/ Don Curzio Kresimir Spicer
Barbarina Theresa Zisser
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 フィガロといえば、数年前にここスカラでカビが生えそうな演出で鑑賞したのでした。その時のことはさておいて・・・・11月の旅行はこの公演が目的というわけではなく、オマケといえばオマケなのですが、新演出ということ、久しぶりにダムラウとキーンリーサイドを聴けるということ、そして何よりもクレバッサを演出つきの公演で聴けるのが楽しみで毎日移動の日程になってしまってもスカラまで来たのでした。

 席はお金持ち入り口から入れる最上階、つまり4階席サイド。
 オケの音が密度が濃く、ウィーンの音に近いと感じてしまったのはメスト指揮ゆえなのか?今までここでモーツァルトを聴くと軽やかな印象でしたが、今回は軽やかさは希薄でメリハリのある印象になってました。

 演出は劇中劇で舞台隅に台本を追っている人が座り、出演者がレチを忘れるとツッコミを入れるという場面があったり、舞台セットを運ぶのは髪を高く結い上げ、ハイヒールと黒い衣装を身に着けたモデルさんのような黒子で、時々茶々を入れるのもオチャメな演出でした。内容的には何か伝えたいという意図は特に感じられず、ただウケを狙っているようにしか思えなかったのは[猫]の能力不足かもしれませんが、コメディは楽しめればそれでよい気はします。

 長期休養を取っていたキーンリーサイドはすっかり復調といったところ。相変わらずキャラ作りが上手で、真面目にマヌケな伯爵に、思わず口元がほころんでました。
 ダムラウは何を歌ってもダムラウという感があるのは否めないのですが、伯爵夫人という役はそのままの良さで通せるハマリ役でした。アリアでメストはダムラウにお任せでしたが、途中で間を取ってじっくり歌ったときがあって、終わったと勘違いしてしまった観客が拍手をしてしまい、周囲の観客からシッと注意され、これにはメストも首を振って残念がるといった場面もありました。
 今までコンサート形式で聴いたことのなかったクレバッサは演出上、大袈裟なくらい落ち着きなくコミカルに動いてましたが、それが凄く可愛らしく素敵で舞台センスもよい感じ。
 フィガロとスザンナのカップルはそれほど特徴的な役柄を与えられてなく、決して悪くないのですが普通な印象にとどまってしまった感がありましたが、新制作ではそうそう勝手に動いたり歌ったりするわけにもいきません。

 理想的なキャストで重唱も美しく、オペラを聴き始めたころだったら満足度が高かったあろう公演ですが、新演出のインパクトはそこそこ、新鮮だったのはクレバッサの舞台センスくらいでほとんど想定内といった感は否めず、オマケはオマケの公演だったかなー。もちろん贅沢なオマケではありました。



カルメル派修道女の会話・・・Staatstheater Mainz・・・2016/11/9 [オペラ]

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Musikalische Leitung: Hermann Bäumer
Inszenierung: Elisabeth Stöppler

Marquis de la Force: Peter Felix Bauer
Blanche de la Force: Vida Mikneviciute
Chevalier de la Force: Jungyun Kim
Madame de Croissy, Priorin: Gudrun Pelker
Madame Lidoine, neue Priorin: Nadja Stefanoff
Mutter Marie, Subpriorin: Linda Sommerhage
Schwester Constance, Novizin: Dorin Rahardja
Mutter Jeanne: Katja Ladentin
Schwester Mathilde: Anke Steffens
Beichtvater des Karmel: Johannes Mayer
Erster Kommissar: Scott Ingham
Zweiter Kommissar: Ion Dimieru
Offizier: Georg Lickleder
Stimme des Kerkermeisters: Derrick Ballard
Antoine Thierry: Reiner Weimerich
Monsieur Javelinot, Arzt: Hans-Helge Gerlik

Chor und Extrachor des Staatstheater Mainz
Philharmonisches Staatsorchester Mainz

 日本からの到着日、フランクフルトでは公演なし。しかし、近郊の町でもオペラは観れるのはさすがドイツです。ヴィースバーデン、マインツ、ダルムシュタット、ハイデルベルクなど調べること怠りなく、ダルムシュタットの『青髭公』かここマインツの『カルメル派修道女の会話』と少々迷いましたが、まだ鑑賞したことのない作品を選びました。

 オケピはかなり深く設定してありましたが、小さな劇場とあって、爆演、大声大会でした。

 始めから終わりまでなんと緊張感に満ちた作品でしょうか。ただ演出が難解で、おまけに到着日とあって睡魔に襲われるのを避けることができず、途中ウトウトしはじめると、爆演、大声にビクッとさせられるという状態での鑑賞になってしまいました<(_ _)>

 時代は現代に設定され、コンスタンスは妊婦。幼い王というのは頭部が陶製のお人形で、ブランシュが誤ってそのお人形を落とし、頭部が割れることで王が死ぬという、少々カルトか精神病を感じさせられる内容。
 ギロチンの場面は修道女が全員手をつないで横一列にならんでいるのですが、ギロチンの音と共に一人、また一人と後ろへよろめきながら倒れていくという演出でした。最初はその列の中にブランシュの姿はなく、コンスタンスが産み落とした赤ん坊をだきかかえながら現れ、最後のギロチン音でブランシュも倒れるのかと思いきや・・・・・

 難解中の難解という公演でしたが、プーランクの緊張感に満ちた作品は強く印象に残るもので、また機会があったら鑑賞したいものです。

 何も害を及ぼすことがない人たちが迫害される恐怖に、外の寒さ以上に体の芯が冷えきったような感覚でホテルまで帰ったのでした。


ワルキューレ・・・新国立劇場・・・2016/10/12 [オペラ]

指揮 飯守泰次郎
演出 ゲッツ・フリードリヒ

ジークムント ステファン・グールド
フンディング アルベルト・ペーゼンドルファー
ヴォータン グリア・グリムスレイ
ジークリンデ ジョゼフィーネ・ウェーバー
ブリュンヒルデ イレーネ・テオリン
フリッカ エレナ・ツィトコーワ

管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団

 この日余裕で家を出たのにもかかわらず、途中で体調が悪くなり、家に引き返す事態となってしまいました。しばらくすると落ち着いたので間に合わないかもしれないと思いながら新国へ行ってみたのですが、やはり開演に間にあわず・・・・。そういった人達は6,7名いたのですが、開演から15分くらいすると係りの人が案内してくれて入れたのはありがたかったです。

 日本のオペラ公演はワーグナーばかりでなく、どんな演目でも期待値は低いのは当然です。歴史が浅く、演奏機会も少ない日本のオケがどんなに頑張っても、百戦錬磨の本場のオケに比べたら大人と子供の差があったって不思議ではありません。しかし、大人と子供ほどの差はないと思うので、感想も悪く書くことはほとんどありません。観客だって鑑賞する機会が少ないのですから、どうしても有名歌手を聴くことに期待が集中するわけですし、演出だって古臭いくらいがちょうどよいのが現実でしょう。

 正直言ってしまうと、
1幕などはただの伴奏で完全に歌手だより。
2幕以降ワーグナーらしい重厚感が出てきて歌手との一体感もずっとよくなりましたが、どうしてジークムントとブリュンヒルデのやりとりをあそこまでテロテロとゆっくりとやるのか?
等々、不満や疑問があるっちゃーあるのです。しかし!ここは日本だっちゅーの!の一言で終了。

 充実の歌手陣を呼んだ新国はエライ!


エリオガバロ・・・Palais Garnier・・・2016/9/19 [オペラ]

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Music Francesco Cavalli

Conductor Leonardo García Alarcón
Director Thomas Jolly

Eliogabalo Franco Fagioli
Alessandro Cesare Paul Groves
Flavia Gemmira Nadine Sierra
Giuliano Gordio Valer Sabadus
Anicia Eritea Elin Rombo
Atilia Macrina Mariana Flores
Zotico Matthew Newlin
Lenia Emiliano Gonzalez Toro
Nerbulone, Tiferne  Scott Conner

Orchestre Cappella Mediterranea
Chœur de Chambre de Namur

 こういった珍しい古楽作品でシーズンをオープンするとはバロック好きのフランスならではです。

 同じカヴァッリ作曲の『エレナ』は全く何も調べずに臨んだのですが、大体のあらすじは分かっても登場人物が多くて理解しきれない部分もあったので、今回はあらすじだけはチェックして臨みました。
やはり登場人物が多く、それでも分からない可能性もあるかと思ったのですが、悪玉トリオを非常に分かりやすくした演出だったので助かりました。

 悪名高い皇帝ネロと同様、名高い暴君ヘリオガバロスの話です。

 悪玉トリオの長であるエリオガバロ、そしてその乳母レニアは外見からしてほとんど妖怪。エリオガバロは皇帝なので衣装が豪華なのは当然としても、目の周りに金をほどこした表情は妖気に満ち、レニアにいたっては顔上部を不気味なマスクで覆い、黒のドレスと帽子に金のアクセサリーをこれでもかと身に着けた姿は尋常でないものがありました。ゾティコはシンプルな黒の上下でしたが、二人の妖怪のパシリか丁稚小僧というところなのでよいのでしょう。

 アレッサンドロ、フラヴィア、ジュリアーノ、アニシアという善玉チームはシンプルな衣装で、衣装だけでなく演技なども比較的単調。演出の意図が悪玉トリオをクローズアップしているのは明らかでした。

 悪玉トリオ、善玉チームなどと書くとコメディ?ですが、途中コミカルな部分はあっても、若くして皇帝となったエリオガバロの悲劇に仕上がっていた演出でした。それも、エリオガバロが生きている姿で舞台から去る前に振り向いた瞬間、それまでの妖気とは打って変わって、孤独にさいなまれ深い悲しみに打ちひしがれた姿に悲劇と悟らされるのです。
 エリオガバロの登場シーンはオケピから舞台上へと続く階段を上がり振り向くというものでしたが、その妖気にゾクっとさせられた一方で、同じ振り向くという動作で一瞬にしてエリオガバロの心の内に潜む悲しみを訴えることができるファジョーリの舞台センスには並々ならぬものがありました。
 黄金風呂での入浴シーンは圧巻で、歌も素晴らしいものでしたが、入浴しながらフラフラと揺れて歌うさまは異様ななまでの妖艶な美しさでした。
 エリオガバロが首となってからは強い喪失感に襲われることとなってしまったことは否めません。

 そこで疑問に思ったのは、元々この作品自体は勧善懲悪なのではないかという点で、エリオガバロの死後も結構長く続く作品であるのにもかかわらず、演出が悪玉トリオばかりに強い個性を与え、善玉チームはシンプルすぎた感があるということ。エリオガバロの死後、他の2人の悪玉も生きた姿で登場することなく首吊りてるてる坊主となってしまってからは、一気に睡魔に襲われるという羽目になってしまいました。

 それでも悪玉でも善玉でもないアティリア役のフローレスのしなやかな歌唱と活き活きとした演技はまるで妖精のようで、古楽を専門のようにやっている人とそうでない人の違い、また舞台センスの違いというのはあるのかもしれません。

 善玉チームはサバドゥス以外、古楽を歌う機会はそう多くなく、なおかつ演技も多くを要求されてないようで、舞台中央で真面目に歌っているという印象が強く、いろんな意味でお堅い人達になってしまった感があります。
 サバドゥスにはガルニエは大きすぎる印象で、他の善玉チームの人たちがガンガンに真面目に歌っているせいもあって、声量面で少々ヘナチョコぎみの騎士となってしまってました。

 この作品自体、もう少し小さな劇場のほうが相応しいのでしょう。演奏についても大雑把な印象だったのは、エクスの『エレナ』ではばらつきようがない少人数編成でしたが、ガルニエでは編成が当然多く、メディテラネオがガルニエの大きさの劇場で公演する機会などほとんどないのではないかと思えたのでした。

 尚、今回の演出でスポットライトを舞台奥から観客席に向かって照らす手法を取ってましたが、7月にバイエルンで鑑賞した『トゥーランドット』『メフィストフェレ』でも同様の手法を取っていて、全て異なる演出家ではありますが、この3か月で3公演目になります。『トゥーランドット』では自分の目に入り、辛かったのですが、今回はそういったことはなく、効果的に使って悪玉トリオを浮かび上がらせていたように思えました。



ノルマ・・・Teatro La Fenice・・・2016/9/18 [オペラ]

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Direttore: Daniele Callegari
Regia, scene e costumi: Kara Walker

Pollione | Roberto Aronica
Oroveso | Simon Lim
Norma | Mariella Devia
Adalgisa | Roxana Constantinescu
Clotilde | Anna Bordignon
Flavio | Antonello Ceron
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 フェニーチェは2回目。初めて訪れたのは焼失前なので、もうだいぶ前のことです。

 今回はスカラの『ねじの回転』が目的で計画したのですが、諸事情により観ること能わず。それでも焼失からまさに不死鳥のごとく甦ったフェニーチェには来れたのは嬉しいことです。

 デヴィーアは徹底した様式美の人という印象で、正確に抑制された歌声が、聴いていて心地良いことこの上ありません。
 物語に命を吹き込むべく奮闘していたのは指揮者のカレガリで、陶酔するように指揮していた姿には感動さえ覚えてしまいました。抑揚、テンポ等、わざとらしさまでいかない範囲で上手くコントロールしてドラマチックな演奏に仕上げてました。指揮に呼応したオケの音色は柔らかさがありながらも逞しく、イタリアの太陽と土の香りがする豊穣さでヘナチョコ系ではありません。
 同じく指揮に呼応するがごとく、熱く歌いあげていたのがアロニカ。オケをのぞき込めるサイドの席で鑑賞していたせいか、オケの逞しさとアロニカの熱さが爆演大声大会風に聞こえるときもありましたが、その逞しさと熱さこそが物語に脈を打たせていたように思えたのでした。
 アダルジーザ役は古楽も歌う人とあって、様式美という点でも声質もデヴィーアと合って二人の重唱も美しく、劇的信憑性という意味でも好演していたと思います。

 演出は予算のないイタリアの劇場のこと、衣装を着けたコンサート形式のようなものではありました。新国のほうがはるかに頑張って演出に力を入れていると言えるくらいくらいですが、資金的に厳しいのは明らかでやむをえません。どんな形でも公演を続けることが重要ですし、観光客も多い土地柄なので、フェニーチェで鑑賞すること自体が嬉しい人達は大勢いるはずです。


 デヴィーアは以前ベルガモ・ドニゼッティ劇場の来日公演で聴いたときには演奏と合わず、こんなものではないだろうという印象でしたが、今回は合わないといったことは一切なく、歌声を堪能できました。個人的にはデヴィーアはオーケストラの演奏で聴くよりシンプルなピアノ伴奏のほうが美しく聴けるような気がしました。オペラではやや冷たい印象が残り、物語の緊張感が希薄だったことは否めません。しかし、徹底した様式美こそが拘りであり、その美しい歌を愛聴する人達は大勢いるに違いありません。

 イタリアオペラ自体にそれほど興味はないので、イタリアでオペラに期待するものはほとんどないのですが、イタリアという国はやはり素晴らしいので、これからも時々来ることにはなりそうです。

メフィストフェレ・・・BAYERISCHE STAATSOPER・・・2016/7/24 [オペラ]

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 7月の旅行の目的はこの公演。
 歌劇場の装いは上旬にきたときと同じ源氏の白旗・・・・・と思いきや・・・・よく見ると屋根の上の旗だけが白い旗ではなく国旗に変わってました。しかも半旗だと分かって弔意を示す事態になっていることに気づき、ドイツ南部の悲惨な事件のことを知ったのでした。

Musikalische Leitung Omer Meir Wellber
Inszenierung Roland Schwab

Mefistofele René Pape
Faust Joseph Calleja
Margherita Kristine Opolais
Marta Heike Grötzinger
Wagner Andrea Borghini
Elena Karine Babajanyan
Pantalis Rachael Wilson
Nerèo Joshua Owen Mills
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 演出は冒頭から退廃的な印象で、メフィストフェレによって支配された未来という設定。スクリーンにNYの街と飛行している航空機が交互に映し出され、航空機が急旋回して下降するところで映像はストップするのですが、当然観客の脳裏に浮かぶのは9.11・・・・・・これも悪魔のせいかと思わされる演出ではありますが、実際にドイツ南部で悲惨な事件のあった直後に観るのは辛いものがあります。芸術と現実を重ね合わせるのは良いときもあれば、別のものとしてとらえるほうが良いときもあります。今回は別のものとして考えるよう努めました。
 演出手法についてはブレークダンスを取り入れたり、カメラを登場人物に持たせてその映像を映したりと最近ではよくある手法の組み合わせといった面があり、何もそこまでという部分もなきにしもあらずではありましたが、非常に見ごたえがあったのは3つに分かれる舞台を上下に別々に動かして波のようなダイナミックな動きを創りだしていたところ。下に舞台が動いても舞台上にいる人たちは皆演技をしているので、この演出は平土間で観るよりも少し上から観たほうがより楽しめそうです。ただ音楽を一部蓄音機で流すという手法はあまり好ましいものではない気がしました。

 イタリア語のオペラといっても音楽はドイツオペラという印象で、オーケストレーションは複雑で厚みがあり、コーラスの迫力も観客を魅了するものでした。いつものように予習など何もせずに聴いてきたわけですが、作曲したボーイトが既存のイタリアオペラを批判しワーグナーに信奉していた時期の作品ということは聴けば容易に想像できるものです。

 歌手についてはほとんど言うことなしではありますが、カレイヤがいつも棒立ちで歌うのが少々気にならないでもなく・・・・これから棒立ち歌いをカレイヤ派と呼ぼうかと・・・・ただし声の素朴さから棒立ちこそが自然体と見えなくもないのが得な人です。初演の時から歌っているはずですが、演出家も歌っている間は多くを求めなかったのか?
 オポライスを聴くのは初めてでしたが、想像していたより線が細く、声が痩せているように感じたのは役柄ゆえでしょうか?
 演技も歌もいろんな意味で最も自然体だったのはタイトルロールのパーペ。次のシーズンでは他の人が歌うことになったため、この公演だけを目的に来た甲斐はありました。

 マイア・ヴァルバー指揮する演奏はダイナミズムに溢れ、見事な鳴らしっぷり。最後はコーラスの迫力と演奏にメフィストフェレの声がかき消されるほどでしたが、それこそが結末に相応しく、悲惨な事件が続く中での鑑賞では救いに思えたのでした。



ポント王ミトリダーテ・・Rokokotheater Schwetzingen・・2016/7/23 [オペラ]

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Musikalische Leitung: Rubén Dubrovsky
Inszenierung: Nicolas Brieger

Mitridate: Mirko Roschkowski
Aspasia: Astrid Kessler
Sifare : Mary-Ellen Nesi
Farnace: Clint van der Linde
Arbate: Antonio Giovannini
Ismene: Vera-Lotte Böcker
Marzio: Daniel Jenz

Orchester des Nationaltheaters Mannheim

 2度目のシュヴェツィンゲンのロココ劇場。ここでは年3回フェストがあり、春はSWR,夏はマンハイム歌劇場、冬はハイデルベルク劇場の主催です。

 夏はモーツァルト・サマーと銘打っての公演ですが、オケはマンハイム歌劇場のオケで古楽オケではありません。
 ドロットニングホルムで聴いた公演は古楽オケで歌手の歌も様式美に溢れ、バロックを印象づけるものでしたが、今回は歌にアジリタなどの技術を残しながらも演劇性に重きを置いたもので、演技にも歌にも感情を激しく表現する場面が多々ありました。歌手の配役も異なり、ドロットニングホルムではアスパージア、シーファレ、イズメーレ、アルバーテがソプラノ、ファルナーチェがCT,ミトリダーテとマルツィオがテノールでしたが、今回はシーファレはメゾ、アルバーテはCTでした。オリジナルはシーファレもアルバーテもソプラノのようですから、メゾ、CTでも高音を出せる人でないと難しいのではないでしょうか。

 演劇性重視といった面があったためか、アスパージア役とイズメーレ役の人は時にヒステリックと感じるような高音を出す場面もあったのですが、シーファレ役のネシはもともと古楽系の人でメゾということもあって激しく歌う場面があっても過度になりすぎず、聴いていて心地よく耳に残りました。
タイトルロールのテノールの人が荒々しさがありながらも実に良い声の持ち主でしたが、後半になって高音が2,3か所決まらなくなってしまったのが惜しいところ。ただし、ハイCもある難役ということを考えれば十二分に存在感のあるタイトルロールでした。ファルナーチェ役の人が体調が万全でなかったのか、途中舞台で吐いてしまって大丈夫かと心配したのですが、その一瞬だけで、歌も演技も全力投球で立派に最後まで勤め上げてプロ根性を見せてました。


 この劇場は舞台の模型が展示されているのですが、模型ではかなり奥行があるのに、冬の公演でもこの夏の前半もそれほど奥行がなく、修復でもしているのかと思っていたところ、後半になってその奥行を活かした演出となり、奥で火を燃やしているかのような迫力は見ごたえがあるものでした。

 この劇場のサイズには古楽オケでバロックのほうが合うという気はしましたが、歌手陣の熱演が好印象として残った公演でした。

 今回は昼頃にはシュヴェツィンゲンに到着したので、冬に来たときに修復中だった城内の見学ができるかと思ったのですが、残念ながらまだ修復は終わってませんでした。

イル・トロヴァトーレ・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・・2016/7/8 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Philipp Stölzl

GRAF LUNA Simone Piazzola
LEONORA Anna Netrebko
MANRICO Yusif Eyvazov
AZUCENA Dolora Zajick
FERRANDO Adrian Sâmpetrean
INEZ Anna Lapkovskaja
RUIZ Florian Hoffmann
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 このところネトレプコの追っかけと化しているかもしれない[猫]です。
 昨年の新制作であるシュトルツルの『イル・トロヴァトーレ』ですが、ヴィデオクリップを見るとこれがなんとも面白そうでどうしても観たくなってしまったのでした。

 開演時間になって係りの人が舞台に登場。開口一番、キャストチェンジではありませんのでご安心ください。これには観客から笑いがもれましたが、安堵もあって当然の反応。技術的な問題があるとのことでしたが、再演とはいえ3回公演の初日、以前『ファウスト』でもありましたが、再演の初日は要注意。仮の劇場で行う困難が露呈するようで、おそらくスタッフの人たちも早くリンデンに戻れることを心待ちにしているるに違いありません 。

 序曲冒頭・・・打楽器・・・上手すぎるゾクゾク感・・・・管楽器・・・・これまた上手すぎるワクワク感。この話、そこまで上手くなくてもよいの、肝心なのは大衆的ドンチャカ感。そう思いながら聴き始めたものの,肝心のドンチャカ感もアンビルコーラスでチンドン屋のような鳴り物を思い切り鳴らしてバッチリ。
 ただアリアの後の拍手の後に微妙な間合いがあることがあり、一瞬バレンボイム先生の具合でも悪いのかとも心配になったのですが、おそらくは冒頭でアナウンスがあった技術的な問題を確認しながら進行しなくてはいけない状況だったのではないかと?

 演出は人形劇風。夜な夜なおもちゃ箱の中ではこんな大変なことが起こっているのですヨ。といった趣向にも見えて、子供に聞かせる怖い話風仕立てです。これがネトレプコやザジックといった大見得を切れる人たちが歌うと人形にみるみる熱き血潮がみなぎり、情念が溢れるのが醍醐味。
 もともとネトレプコはコメディのほうがおおらかで伸び伸びとした魅力があって良いと思ってましたが、この演出では軽いコミカルな愛らしさから重い情念まで、ネトレプコの魅力を最大限に楽しめる、正にネトレプコのための演出といったところ。
 アズチェーナの髪が赤茶でボワボワ、マンリーコの服装が全身茶色ということで、この二人が並んでいると見た目はまるでタヌキの親子であるにもかかわらず、2幕の昔話の場面ではザジックのおぞましい凄みにゾクゾク。
 ザジックの歌い方が低音で声質が変わるのが少々気になったのですが、低音が出にくくなってしまったゆえか?わざと凄みをだすために声質を変えてるのか?いずれにしてもゾクゾクさせられたのはベテランの上手さと納得。
 タイトルロールのエイヴァゾフはひたすら威勢の良さで勝負。聴かせどころの『見よ、恐ろしい炎を』は強烈な浜口方式。気合いだ!気合いだ!気合いだ!派手な恰好をしたコーラスと相まって、その威勢の良さには近くに座っていた人が思わずホッと溜息のような感嘆が漏れるほど。
 ルーナ伯爵役の人はイタリアでは既に幅広く活躍している人のようですが、見るからに若い感じの人で、慣れてないであろうドイツで、ネトレプコのようなスターとの共演は初めてではないかなといった様子。まして初演時にはドミンゴさまという大御所が歌ったのですから、その後を引き継ぐとあっては緊張しないわけはなかろうという状況であります。ネトレプコやザジックのような大見得を切れる人とつりあうようにゆっくりと歌う場面もありましたが、これからの人という印象でした。
 女性陣に比べてしまうと男性陣が物足りなさを感じてしまうのは致し方なしではあります。
 フェルランド役の人はザルツでも同役を歌っていた人ですが、脇役とはいえ歌はしっかり、舞台センスも良い感じで好演してました。

 ベルリンのトロヴァトーレは6月に観た軽量級のDOBの公演も面白かったですが、シラーの重量級のトロヴァトーレも面白くて満足でした。


トゥーランドット・・Bayerische Staatsoper・・2016/7/7 [オペラ]

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 9月8日のヨハン・ボータ氏の突然の訃報に喪失感と悲しみに襲われたのは言うまでもありません。
 聴いた役はラダメス、ローエングリン、ジークムント、影のない女の皇帝、そしてこのカラフ。何を歌っても素晴らしい人でした。この公演はフェストの2回公演の初日でしたが、オペラの出演はこの『トゥーランドット』が最後だったのかもしれません。実に立派な舞台でした。

 ご冥福をお祈りいたします。
 合掌

 以下の感想は8月頃書いたものです。

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Musikalische Leitung Asher Fisch
Inszenierung Carlus Padrissa - La Fura dels Baus

La principessa Turandot Nina Stemme
L'imperatore Altoum Ulrich Reß
Timur, Re tartaro spodestato Goran Jurić
Il principe ignoto (Calaf) Johan Botha
Liù Irina Lungu
Ping Andrea Borghini
Pang Kevin Conners
Pong Matthew Grills
Un mandarino Bálint Szabó
Il principe di Persia Thorsten Scharnke
Kinderchor  Kinderchor der Bayerischen Staatsoper
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 客席に入ろうとすると係りの人から紙の3Dメガネを渡され???ビデオで使用するときがあるとのこと。これが字幕部分にメガネの絵が表示されるので、どこで使用するかはわかりやすいのですが、そのたびにカサカサと音がしてしまうし、別にそんなことオペラに期待しないヨというのが正直なところ。
 最近主流の映像を駆使した演出ですが、とにかく何でも取り入れてみようという趣旨もあり、ローラースケート、太極拳&ブレークダンス、宙づりパフォーマンス等々舞台上はてんこ盛り状態。このような近くで観た場合は煩わしいと感じるであろう公演も、遠目で観ていると異次元空間の話のような、まるでSF映画を観ているような面白さがあって悪くないと思えました。新しいものを芸術としてとらえ、オペラという伝統的芸術と融合することは、現代と過去のアーティストのコラボであり、オペラが生き続ける芸術であるための一つの手段であることは間違いありません。それにその他大勢がさまざまなことをやっても、歌手の負担は少なそうなのが何よりといった演出でした。

 始まる前に座っていた席の後列から米語が聞かれ、序曲が始まってすぐにローラースケートを履いた集団が現れただけで案の定、ケラケラと笑声(vv。。。光GENJIを知らんのか!ちっともオモロナイワイ!と、心ひそかにムっとしてたのですが、その後は静かに鑑賞できたのですぐにムっは収まったのでした。それに光GENJIを知らなくてもやむをえないところです。

 前日の『ボエーム』では幕に反応する人がいて音楽に拍手が被ってしまいましたが、この日は幕がなく、拍手が全く被ることはありませんでした。アリアの後も拍手の間をとることなく続けて演奏してましたが、大きな劇場とあってか、さすがに「誰も寝てはならぬ」の後は演奏を止め、拍手の間を取ってました。

 歌手で注目していたのは長い間お休みしていたボータ。見た目が痩せたと思いましたが、歌声はほとんど変わらない気がしたので安心しました。イタリアもの、ドイツもの、オールマイティに活躍できる貴重な人で、オペラ界になくてはならない人です。




ラ・ボエーム・・・Bayerische Staatsoper・・・2016/7/6 [オペラ]

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 5日の『裁判官』から8日ベルリン『トロヴァトーレ』まで、どこで何を観ようか? エクスやマドリッドで興味のある公演はあってもさすがに遠すぎて面倒なので、結局ミュンヘンへ。

 源氏の白旗良い旗印[るんるん]よくみりゃ父ちゃんのふんどしだ[るんるん]という歌を思い出してしまった今年のバイエルンフェスのデコレーション。屋根の上の旗まで真っ白。そんな歌を思い出してしまったのも申し訳なく、白い布で統一したのには何か意味があるのかと思い、係りの人に尋ねたのですが、特に意味があるかどうかもわからないとのこと。でも少なくとも源氏の白旗やふんどしからイメージするわけはないのであります。

Musikalische Leitung Asher Fisch
Inszenierung Otto Schenk

Mimì Sonya Yoncheva
Musetta Julie Fuchs
Rodolfo Wookyung Kim
Marcello Levente Molnár
Schaunard Andrea Borghini
Colline Goran Jurić
Parpignol Petr Nekoranec
Benoît Christian Rieger
Alcindoro Peter Lobert
Ein Zöllner Igor Tsarkov
Sergeant der Zollwache Johannes Kammler
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 バイエルンというと斬新な演出のほうが強い印象ですが、カビが生えそうな演出もしっかり残っていて、このボエームもその一つ。ドイツ語圏は公演数の多さから、斬新な演出が一番多いのもドイツなら、カビが生えそうな演出が多いのもドイツ語圏で、結局選択肢が多いというところなのです。

 失礼ながら個人的にはオマケの公演なので大した興味もなく、唯一楽しみな点を挙げるとしたら初ヨンチェバ。
 演出の面白さなどあるわけないのですが、出演者のキャラがそれぞれ立っていて、なおかつチームワークよく、最後は結構泣ける良い公演でした。

 ヨンチェバはミミの役柄のイメージに声も容姿もピッタリ。プッチーニとあって結構鳴らす部分があったのですが、余裕の声量。
 パークは『冷たい手を』でハイCを出したのは立派。少々気になったのは演技面で、仲間達と歌うときは自然体でよいのに一人でアリアを歌うと歌に集中してしまうためか演技が不自然で不器用な感じになってしまっていたのですが、多くのテノールが避けて歌う高音を出していたのですから、それも納得の範囲ではあります。
 主役2人も良かったですが、マルチェロ&ミュゼッタ役がそれぞれ役柄に合って、個性を発揮したことも充実した公演となった大きな要因です。マルチェロ役のモルナールはこの劇場のアンサンブルのようですが、懐の大きさを感じる歌唱に人柄の好さがにじみ出ていて、ミュゼッタ役のフックスは茶目っ気ある愛らしさで好演でした。ただフックスはは爆演大声大会的な部分もあるプッチーニより古楽あるいはロッシーニなどの技術系のほうがより良さを発揮できるのかもしれません。もちろん声のコントロールも素晴らしいし、舞台センスもすごく良いので不満があるわけではないのですが、少々コンパクトな印象になってしまうので、劇場サイズもチューリッヒくらいで技術系の歌を歌っているほうがより素晴らしい気がしました。


裁判官・・Theater an der Wien・・2016/7/5 [オペラ]

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Musik von Christian Kolonovits
Libretto von Angelika Messner

MUSIKALISCHE LEITUNG David Giménez
INSZENIERUNG Emilio Sagi

FEDERICO RIBAS, RICHTER José Carreras
ALBERTO GARCÍA, LIEDERMACHER José Luis Sola
PAULA, JOURNALISTIN  Sabina Puértolas
MORALES, VIZEPRÄSIDENT DER SAUBEREN HÄNDE Carlo Colombara
ÄBTISSIN Ana Ibarra
MARIA | ZWEITE NONNE Maria José Suarez
ERSTE NONNE Itziar de Unda
PACO, KAMERAMANN Manel Esteve
ALTE FRAU Milagros Martin
VIER MÄNNER DER "SAUBEREN HÄNDE"  Thomas David Birch
VIER MÄNNER DER "SAUBEREN HÄNDE"  Julian Henao Gonzalez
VIER MÄNNER DER "SAUBEREN HÄNDE"  Ben Connor
VIER MÄNNER DER "SAUBEREN HÄNDE"  Stefan Cerny
ORCHESTER  ORF Radio-Symphonieorchester Wien
CHOR Arnold Schoenberg Chor (Ltg. Erwin Ortner)

 7月の旅行の最大の目的は6月に引き続きシラー劇場。その公演が8日で前後になにか観るべきものがあるかと調べたところ、TAWのシーズン発表時にはなかったこの公演が目に留まりました。現代作品も決して嫌いでなく、レアもの好き、それでカレーラスの名前が目に飛び込んできたのですから、聴いてみたくなったのも当然といえば当然です。カレーラスは現在リサイタルが活動の中心ですが、再度オペラの公演に出演するとなると見逃す手はありません。まして[猫]はリサイタルでさえ聴いたことがないので、お初でございます。

 作品はフランコ政権下のスペインで修道院が子供を誘拐、拉致して身寄りのない孤児として教育を行っていたという実話をもとに制作されたもので、コロノヴィッツはカレーラスに歌ってもらうために作曲したということです。スペイン語の作品であり、初演もビルバオですが、これはスペインの人たちにとっては忘れてはならない事件だったことは想像に難くなく、この作品は2度とこのような悲劇が起こらないようにとの願いを世界に発信するために制作され、カレーラスもその一翼を担うべく再度オペラに出演する決意をしたのかもしれません。

 ある男性が母親から死に際に誘拐された兄の存在を聞き、兄を探すというストーリー。アリアもありますが、厚くオケが鳴らすことも多く、のど自慢大会的なイタリアオペラではありません。ギターの音色が印象的に響く場面があったり、歌手の歌いまわしにもスペインの民謡を思い起こすような部分があったりとスペインの風土を感じる作品です。

 [猫]はこの作品で初めてこの悲惨な事件のことを知りましたが、カレーラスが出演しなければ鑑賞したかどうかは疑問です。現代作品も鑑賞しなくてはと再認識した公演でしたが、カレーラスの存在は大きな力であったことは間違いありません。品格のある美声は全盛期を彷彿とさせるものでした。


フィデリオ・・・Theater an der Wien・・・2016/6/20 [オペラ]

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Musikalische Leitung Marc Minkowski
Inszenierung und Bühne Achim Freyer

Leonore Christiane Libor
Florestan Michael König
Don Pizarro Jewgeni Nikitin
Rocco Franz Hawlata
Marzelline Ileana Tonca
Jaquino Julien Behr
Don Fernando Georg Nigl
1. Gefangener David Sitka
2. Gefangener Marcell Krokovay

Orchester Les Musiciens du Louvre
Chor Arnold Schoenberg Chor

 ウィーン芸術週間の公演です。

 オリジナルはチェルニャコフの演出だったのが、アキム・フライヤーに変更。その演出は人形劇風というより、人形劇。歌手が人形なのですが、これだったら本物の人形劇にして、歌手は脇でコンサート形式にしたほうが良いのではないかとも思われるもの。人形を作るより、歌手が人形になったほうが経費は節約できそうではあります。

 登場人物は全員仮面をつけたうえに着ぐるみのような衣装。
ロッコはマシュマロマンの体にジェイソンの仮面
フィデリオは白黒パンダ魔法使い
マルツェリンは露出狂娘
ヤキーノは競馬の騎手
ドン・ピサロがキャプテン・アメリカみたいな衣装の上に白いジャケット、仮面は子供が書いたウルトマンレオ
 まるでドン・ピサロがヒーローのような外見ではあったのですが、緑のムチを振り回し、出番でないときも出たり入ったり、俺様が悪だアピールに余念なしでした。

 セットはビルの建設工事現場の枠組足場のような3層構造で、登場人物それぞれ立ち位置が固定。下層に両手を左右に鎖で繋がれたフロレスタン、中層左からヤキーノ、ロッコ、マルツェリン、フィデリオ、上層左端にドン・ピサロ、中央にフェルランド。それぞれ回転式の壁や扉で背後に隠れたり表に現れたり・・・動く場所は決められていても常に舞台上にいなくてはいけないので歌手にとっては決して楽な舞台とはいえない上に、下層と上層は他のメンバーの様子もよく見えない孤独な状態で歌わなくてはいけないので結構やりにくい舞台ではないかと思えました。

 この演出で伝えたいことは何なのか?などと考える気もおこらなかったのですが・・・印象に残ったのは、とても生身の人間では表現できないほど残酷に見えたこと。フロレスタンが両手を繋がれている状態は両手が伸びきって完全に両肩脱臼状態。いかに人間が残酷になれるかということを伝えているようにしか見えませんでした。

 演出が意味不明でも音楽さえ・・・・というところですが、人形劇という演出が影響したか否か?本当にMDLが演奏してたの?という感じ。特に金管はどうしちゃったかな~~~~?どこのオケでも締まらないときもあるものだと改めて思うこととなりました。演出に合わせて一部セリフのカットあり、後半のレオノーレ演奏もなし。ミンコフスキは部分的に快速特急になることがありますが、今回は最後の重唱が快速運転。最終日でトットと終わらせちまおう的に聞こえてしまった感もなきにしもあらずですが、もちろんそんなことはないでしょう。

 歌手はそれぞれ好演。
 席が3階サイドの席だったので、上層で歌うドン・ピサロ役のニキーチンの生の声が真横からすごい迫力で耳に入ってきていたのですが、声は上に飛んでいくので、どうしても上で歌う人は下で歌う人より割りをくってしまいがち。平土間で聴いた人に尋ねるとやはりその通りだったとのこと。
 マシュマロジェイソン役、もとい、ロッコ役の人が暖かさのあるおおらかな感じで適役に思えたのですが、キャスト表を確認したらハヴラータ。オックス役で2回ほど聴いたことはありますが、全く異なる印象で、今回はこの人に意外性を発見。
 ケーニッヒは前回ローエングリンで聴いたときに演技がどうか?スタミナは?ということを機会があれば確認したいと思っていたのですが・・・・両手を縛られた着ぐるみの中でもがいている役だったので、確認しようがない演出でした。声は相変わらずピンと張りのある強さと、弱さとも取れるフワっとした優しさと両方を兼ね備えてましたが、スタミナ不足の懸念も全くない役なので、適役に思えました。

 終了後、即ブーが聞こえましたが、この演出では仕方なしかな?
 カーテンコールは賞賛のほうが多かったですが、『フィデリオ』を聴いたという実感が薄い公演ではありました。




神々の黄昏・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER ・・・2016/6/19 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Guy Cassiers

SIEGFRIED Andreas Schager
GUNTHER Boaz Daniel
ALBERICH Jochen Schmeckenbecher
HAGEN Falk Struckmann
BRÜNNHILDE Iréne Theorin
GUTRUNE Ann Petersen
WALTRAUTE Ekaterina Gubanova
ERSTE NORN Anna Lapkovskaja
ZWEITE NORN Ekaterina Gubanova
DRITTE NORN Ann Petersen
WOGLINDE Evelin Novak
WELLGUNDE Anna Danik
FLOSSHILDE Anna Lapkovskaja
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 観にきて良かったと思える内容でありましたが、これだけのものを鑑賞すると他の公演が全てかすんでしまうので、いろいろ観るのも空しいかとも思えてしまったのでした。

 オケピはジークフリートと同様、上部が舞台側に湾曲した囲いあり。そして歌手はこの日も素晴らしいことこの上なし。結局のところ、バレンボイム先生の創りだすワーグナーの世界というのは演奏と歌手に一体感をもたらし、歌手を自然と活き活きと素晴らしく輝かせる結果になっているのだと再認識したのでした。

 テンポは1幕は遅めで2時間弱、2幕、3幕は中庸からやや早めといったところ。
 冒頭からして3人のノルンにグバノヴァとペテルセンを起用しての語りは圧巻。第2のノルンとワルトラウテは以前はマイヤーさまが歌っていたはず。マイヤーさまを引き継いだのはチーム・バレンボイムの一員であるグバノヴァ。ワルトラウテとしても清楚で真摯にブリュンヒルデに懇願するさまには、出番が終了した2幕後のカーテンコールでは観客からの賞賛の嵐。観客の反応にグバノヴァが驚き喜んでいる姿が印象的でしたが、いつもマイヤーさまが歌っていた役ということでプレッシャーはあったのかもしれません。
 ハーゲン役のシュトルックマンも遅めのテンポだからこそ生まれる言葉の力たるや物語のキーパーソンに相応しい凄みで圧倒的。
 ギュンター役のダニエルはウィーンを中心に活躍している人で以前イタリアもので聴いたことがありますが、ワーグナーで聴くのはお初です。体格がボリュームアップしたのはワーグナーを歌うようになったからでしょうか?おそらくバレンボイムの指揮で歌うのは初めてかと思うのですが、最初少々緊張ぎみに思えたのも真面目な性格のギュンターといった役作りで、イタリアものよりワーグナーのほうが合っていると思えた歌いっぷり。
 ペテルセンはエルダを歌った人とは同じ人とは思えない変身ぶりで、普通の純朴な女性というより少女に近い雰囲気で好演。
 シャーガーも『ジークフリート』のときのような天然ジークフリートではなく、物語どおり、記憶を失った別人のときもあり。
 テオリンの艶のある豊穣な歌声は終末を告げるのに相応しい風格といったものを感じるものでありました。

 スカラで『ラインの黄金』『ワルキューレ』を観たときのことを思い出せば、2作ではまちがいなく愛が存在してました。しかし、この演出が最後に伝えたのは『神々の黄昏』=『人間の黄昏』とならぬように・・・という警告。
 富と権力への欲望がもたらすものは破滅でしかないとでも示すように、降りてきた幕は津波に流される人々のようにも原爆投下後の地上にも見えたのでした。

 伝えていることの重さと終わってしまったという喪失感とが重なり、演奏が終了してもしばらく拍手は起こりませんでした。10秒くらい経ってから隣に座っていたおじさんがパチッと手をたたきました。しかし、それでも他の人からの拍手は続かず、おじさんは手を合わせたままフリーズ・・・・一呼吸おいて、一気に万来の拍手がわき起こったのでした。

 演出はほとんどコンサート形式といってもよいほど簡素なもので、セットなどは人間の手足のゼリー寄せのような階段とただの箱をいくつか寄せたもの。それでも終末へと向かう不穏な雰囲気があるだけで充分なのかもしれないと思えた公演でした。

 『ジークフリート』では時差がとれず、映像のチラツキにボーッとしてしまい、不覚にも温泉卵になってしまった[猫]でありましたが、時差に悩まされることなく無事に[猫]のワーグナー漬け神々の黄昏風味に仕上がったのでした。


スペードの女王・・・Nationale Opera & Ballet・・・2016/6/18 [オペラ]

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Muzikale leiding   Mariss Jansons
Regie   Stefan Herheim

Hermann   Misha Didyk
Graaf Tomski/Plutus   Alexey Markov
Vorst Jeletski   Vladimir Stoyanov
Tsjekalinski   Andrey Popov
Soerin   Andrii Goniukov
Tsjaplitski   Mikhail Makarov
Naroemov   Anatoli Sivko
Gravin   Larissa Diadkova
Liza   Svetlana Aksenova
Polina/Daphnis   Anna Goryachova
Gouvernante   Olga Savova
Masja   Maria Fiselier
Chloë   Pelageya Kurennaya
Ceremoniemeester   Morschi Franz

The Royal Concertgebouw Orchestra
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 ヘアハイムの演出、それもヤンソンス指揮RCOとなれば興味をそそらずにはいられません。

 ROHとの共同制作ということで予算は結構あったようで、セットはシャンデリアや鏡を駆使した素敵なものでした。
 ヘアハイムというとどこで何をやらかすか分からない意外性とファンタジックな面白さが魅力ですが、その辺はやはり保守的なROHとの共同制作ということがネックになったのか?比較的大人しく、少々肩透かしぎみだったといえないこともなし。
 もちろんヘアハイムらしい‘やらかし’が全くなかったわけではありません。詳細を書くことは控えますが、一幕最後にヤンソンスが観客のほうを向いて指揮してくれるとは思ってもおらず、ちょっと感動しました。ただし、観客がコーラスに促されて総立ちとなるのはいかがなものか?立つという動作は音楽に集中できなくなるし、背の低い人は何も見えなくなってしまって気の毒でした。

 この演出の主役はチャイコフスキー。さて、そこで思い出されるのがザルツの『マイスタージンガー』これを鑑賞したわけではありませんが、確かワーグナーが登場したはず・・・・。デュッセルドルフで鑑賞した『セルセ』は作曲した時代、場所を再現したようなセットでしたが、もしかするとヘンデルがいたの?などと思い起こしてしまいました。
 今後も作曲家ををクローズアップして登場させる演出を制作するのでしょうか?いずれにせよこれからもも注目すべき演出家であることは間違いありません。今回もチャコフスキーについてよく調べてあって、なるほどと思わされることは多々あり。チャイコフスキー役はエレツキー役も兼ね、ヘルマン役はチャイコフスキーが好意を持っている人物の役も兼ねてましたが、ヘルマン役がチャイコフスキーを見下すような場面が織り込まれ、チャイコフスキーが悩みながらこの作品を制作していることを表していたのは面白いアイデアです。それにもかかわらず、終わってみると肩透かしぎみに感じたのは、終わり方が’やはり’と想像できてしまったからかもしれません。

 歌手では演出上の主役チャイコフスキー&エレツキー役のストヤノフが歌う場面は多くないのにほとんど出ずっぱり、作品の主役ディディクもヘルマンとして悩んでいたと思ったら女王に変装してチャイコフスキーを嘲笑したりと強烈な印象を残し、この2人が好演していたのが印象に残りました。

 チャイコフスキーを主役にした演出とあってか、ヤンソンス指揮RCOの演奏は特に大袈裟なところはなく、作品の流れの美しさをそのままを大切にしたというところ。ただし、以前ここで『パルジファル』を聴いたときにも感じたことですが、音響のせいか否か?RCOの音は柔らかく、どちらかというとヘナチョコ系でした。もっともSKBのリングの間に聴いてしまうと、ほとんどのオケはヘナチョコ系に聞こえてしまうのは致し方なしではあります。

 カーテンコールは大変盛り上がってスタンディング・オベーションでした。

トロヴァトーレ・・・Deutschen Oper Berlin・・・2016/6/16 [オペラ]

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Musikalische Leitung Roberto Rizzi Brignoli
nach einer Inszenierung von Hans Neuenfels

Gräfin Leonora Angela Meade
Inez Rebecca Jo Loeb
Graf Luna Dalibor Jenis
Ferrando Marko Mimica
Azucena Dana Beth Miller
Manrico Carlo Ventre
Ruiz Burkhard Ulrich
Ein Zigeuner Hong-Kyun Oh
Ein Bote Sungjin Kown

 ありえないほどおぞましい内容である一方で、音楽は軽妙にオチャラケた部分もあるこの作品。数あるヴェルディの作品の中でも演出にいろいろ変化をつける余地があるのは魅力です。この公演は子供に話す怖い話といった趣あり、陳腐な発想もありでした。

 まずもって、ノイエンフェルスのキッチュな演出が面白すぎ!何が面白いって、バイロイトのねずみと同じく、この作品でもコーラスがやらかしてくれます。全員長い白鬚、黒頭巾、カボチャパンツという姿だけで十分にキッチュで面白いのですが、奇妙な恰好でウジョウジョと動くとまるで白鬚虫。
 最もハマったのがレオノーレの歌うDi tale amor・・・の場面。
舞台中央に馬の置物が置かれていて、レオノーレが乗馬をしながら歌っているという設定。当然置物の馬が走るわけはないので、その疾走感をだすために流れる背景の役割を果たすのがコーラスの白鬚虫たち。あるものは手を振りながら、あるものはピョコピョコと飛び跳ねながら左から右へと一人、また一人と流れるという超アナログな演出が可愛すぎる!!音楽自体がギャロップしたくなるような曲、これをブリニョリ率いるオケも実に軽快に演奏し、レオノーレ役のミードが気持ちよいほど正確に小気味よく歌うのも可愛いことといったらこの上なし。この場面だけでも鑑賞できた甲斐があったというものでした。

 数々の意味不明や突っ込みどころは・・・・何故ルーナとマンリーコが闘牛士のような恰好なのか?Torobadour,Treadore・・・・確かに似てるかも?などと一人ボケツッコミ状態。ルーナ伯爵の少年期やアズチーナの母親が焼かれてしまう場面などは背後で黙役が演じるのですが、それがほとんど学芸会。おまけにルーナ伯爵がレオノーレに迫る場面では牛の肉塊の中に裸の女体が隠れているような絵が背後にあって、肉欲そのまま。
 まるで悪のり学生の発想をそのまま大劇場のプロの公演でやっているような、徹底したアナログ手法の演出には一種の潔さを感じてしまいました。それでもルーナ伯爵が生まれつき足が悪く、父親から見放されて育ったという設定で、後をひくような悲劇に仕立てているのは悲劇として押さえるべきところは押さえているといったところ。
 
 歌手の人たちにはそれほど負担のない演出に思えましたが、どちらかというと女性歌手陣のほうが光ってました。
 唯一演技で変わった動きが必要だったのはアズチーナ役。そのアズチーナ役だけはアンサンブルの人のようで、すごく慣れた感じで好演してました。
 ミードはもっと大柄な人かと想像していたところ、背丈はそれほどでもなく、演出のせいもあって、正確に歌う様はまるでテープレコーダー内蔵のお人形さんのように可愛いという印象。
 イェニスは生まれつき足の悪い兄ちゃんで父親から疎まれて育ったという複雑な設定もあってか、傲慢な印象は希薄。結末は書かないでおきますが、本来のトロヴァトーレとは異なる哀れを誘ってました。
 ヴェントレはバカッパレのテノール声ではありませんが、荒々しい歌いっぷりで悪くなかったです。

 音響に不安のあるDOBですが、上手さなど不要、『トロヴァトーレ』の醍醐味である庶民的な演奏のドンチャカ感はバッチリでした。


ジークフリート・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・・2015/6/15 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG  Daniel Barenboim
INSZENIERUNG  Guy Cassiers

SIEGFRIED Andreas Schager
MIME Stephan Rügamer
DER WANDERER Iain Paterson
ALBERICH Jochen Schmeckenbecher
FAFNER Falk Struckmann
ERDA Anna Larsson
BRÜNNHILDE Iréne Theorin
DER WALDVOGEL Christina Gansch

 2010年の6月に『ラインの黄金』12月に『ワルキューレ』、共にスカラで観てから早6年・・・・当然その間に行けるものなら行きたかったのですが、行くこと能わず・・・・・ようやく念願かなってスカラ・ベルリンリングの続きを鑑賞することができました。『ワルキューレ』と『ジークフリート』の間が開いたことは物語としてかえって自然ではありませんか?と、これまで行けなかったことを自分自身に納得させての鑑賞です。

 オケピは上部が舞台側に湾曲している覆い付き。壁側のバイオリンだけ床が少し高くなっているのはトリイゾやパルジファルのときと同じ。指揮のバレンボイムがオケピに入ってくるのは観客からは見えず、拍手なしで始まるのも同じでした。

 キャストは2010年からかなり変わっていて、ブリュンヒルデは火の中でお休みしていた間にいろんな意味でヴォリュームアップ。シュテンメからテオリンに。ローゲだったリューガマーはミーメに。アルベリヒはクレンツレがお休み中のためかシュメッケンベッヒャーに。ヴォータンはパーペ→コワリョフ→パターソン

 この歌手が全員素晴らしかった!
 特にタイトルトールのシャーガーはそのまんまジークフリートというか、天然ジークフリート。
そんなに声を張らなくても小さな劇場だから十分なんですけど・・・・と他の人から言われたことがあるに違いないと思うのですが、3歩あるいたら忘れちゃうタイプ。いや、3歩歩かなくても3小節歌ったら忘れちゃうタイプ。
 しかし、それこそがジークフリート!
 それにちょいと一本調子と言えないこともない。
 それこそがジークフリート!と納得してしまう天然の奔放さ。
 姓は天然、名はジークフリート、ってことで、シャーガーのニックネームは天然くんに決定。スタミナの心配など全くなし。そんなの当然さ、だってオイラはジークフリートだぜ、てなところでカーテンコールでも余裕でニコニコ。

 テオリンのブリュンヒルデもシャーガーの声の張り上げにつられてなのか?やはりそこまで張らなくても・・・という部分はありましたが、濃厚な声はSKBの音に合って素晴らしい出来。

 演出は前2作よりも簡素になった印象だったのは、いかにも共に資金調達が厳しかったスカラとの共同制作というところ。『ラインの黄金』ではあっても『ワルキューレ』ではなかったダンスが再登場してましたが、違和感はありませんでした。考えてみると2010年当時は珍しくて違和感のあったダンスも最近は取り入れる公演が多く、慣れというのもあるのかもしれません。

 リンデンではいつもワーグナー漬けになる[猫]でありましたが、今回は天然ジークフリート温泉で湯あたりしたようなボーっとした感覚になってしまいました。時差は調節するのが年々難しくなり、到着した次の日でも公演途中で少々辛くなってしまったのは情けないところでしたが、背景のチラチラした映像の睡眠誘導効果は侮れないものでした。

 ワーグナー漬けというよりも天然ジークフリート温泉名物、温泉卵になったような感覚で帰路につきました。←なんじゃらほい?



スペードの女王・・・Opernhaus Zürich・・・2016/6/14 [オペラ]

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Musikalische Leitung Stanislav Kochanovsky
Inszenierung Robert Carsen

Tschekalinski Martin Zysset
Surin Dimitri Pkhaladze
Graf Tomski Roman Burdenko
Hermann Eduard Martynyuk
Fürst Jeletzki Brian Mulligan
Lisa Oksana Dyka
Gräfin Doris Soffel
Polina Judith Schmid
Mascha Hamida Kristoffersen
Gouvernante Judit Kutasi
Tschaplizki Iain Milne
Narumov Bastian Thomas Kohl
Festordner David Margulis

 6月の旅行はベルリンでスカラ・ベルリン・リングの続きを鑑賞することが第一の目的。ついでにチューリッヒとアムステルダムの2か所で『スペードの女王』&DOB『トロヴァトーレ』&デュッセルドルフ近郊のノイスにあるグローブ座でした。
 このチューリッヒは到着日、こちらの『スペードの女王』はミハイル・ユロウスキ&カーセンなので興味津々であったのですが、ご高齢で体調がよくないのでしょうか?知らない間にユロフスキから弟子のコチャノフスキに変更になってました。それでも最近あちこちで売り出し中といった指揮者ですから、違った楽しみに変わったというところです。

 カーセンの演出はいかにも低予算。集金能力抜群のビジネスマン、ペレイラ氏が去って資金面では厳しくなってしまったのは致し方なし。しかし、低予算だから悪いとは限りません。
 緑を基調とした壁面に囲まれた空間は全幕通してかわらず、椅子やテーブル、ベッドなどを変えることでカジノや邸内に変更するだけでしたが、同じ壁面に囲まれていることが閉塞感をもたらし、時にまるで手品のように人が現れたり消えたりするのも面白い演出でした。仮面舞踏会のバレエシーンなどはカットでしたが、閉塞感のある演出にはカットのほうが自然と納得でした。

 演出がシンプルだった一方で、歌手の歌い方は3枚のカード「три карты」という言葉を強調していたのが印象的で、指揮者のコチャノフスキをはじめロシアやウクライナ出身の歌手陣の言葉へのこだわりにも思われましたが、確かにこの言葉こそ物語におけるキーワードであり、音楽としても効果的なアクセントになって緊張感をもたらす要因となってました。

 歌手陣で賞賛が大きかったのはヘルマン役、リーザ役の他、「три карты」を上手く協調していたトムスキー役とエレツキー役。伯爵夫人役のゾッフェルもベテランの上手さを発揮していた上に美しく、話の信憑性として大いに納得できる好演でした。
 ただリーザ役のディカが声がよく出すぎというか、チューリッヒのサイズでは強すぎ、迫力ありすぎで少々浮いていると感じてしまいましたが、それもスカラで聴いたアメーリアのときのほうが美しく馴染んでいたような気がするというだけのことかもしれません。
 そういえば、スカラで聴いたことのあるソプラノを他の劇場で聴いて、スカラで聴いたときのほうが美しい声だったと感じるのはこれで3回目です。全てたまたまスカラで歌ったときのほうが調子よかったというだけなのか?そうではなく、スカラは素のままの美しい声を聴ける劇場だと思うのです。



ローエングリン・・・Semperoper・・・2016/5/29 [オペラ]

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Musikalische Leitung Christian Thielemann
Inszenierung nach Christine Mielitz

Heinrich der Vogler Georg Zeppenfeld
Lohengrin Piotr Beczala
Elsa von Brabant Anna Netrebko
Friedrich von Telramund Tomasz Konieczny
Ortrud Evelyn Herlitzius
Heerrufer des Königs Derek Welton
Erster Edler Tom Martinsen
Zweiter Edler Simeon Esper

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 ネトレプコがエルザを歌うということで話題にならないわけがない公演。
 ぜ~~~~ったいににチケットが手に入るわけないだろうけど、万が一手に入ったら行ってもいいかな?てなイージーな気持ちで発売日に臨んだにもかかわらず、あーーらあら不思議・・・買えてしまった・・・・・ほんじゃまーしゃーない・・・・行ってくるか・・・てな感じ・・・と言ったら、ネトレプコファンに袋叩きに合ってしまうでしょうか?いや、そんな甘いものではなく、多くのワグネリアンにとっても注目の公演。どれだけの人を敵に回すか、想像するだに恐ろしきことかな。

 公演全体の印象は爆演、大声大会。爆演という印象が強くなった一番の理由はコーラスと演奏のバランス。しかし、舞台の広さがバイロイトのように広いわけではないためコーラスの人数がそれほど多くなく、オケピの壁が内側に湾曲しているわけでもないので、どうしても演奏のほうが勝ってしまってコーラスがもたらす高揚感が希薄だったのは致し方ないのかもしれません。また、購入時に席の位置まで選べなかったため、前から6列目の端の方で管が近く、楽器のバランスとして管が強かったことも爆演に感じた原因かもしれません。それでも個人的にワーグナーは爆演が好みであり、ワーグナー歌いたるもの厚いオケを超えて声を響かせる技術は持っていて当たり前。今回は正にこれぞワーグナー!といった充実感でした。今までティーレマンのワーグナーについては音を抑えるのが窮屈な収束感があってイイ感じがしなかったのですが、今回はそんなことを感じることもなく、演出、演技を伴っての長めのパウゼも自然なものでした。ワーグナーデビューの2人が歌うとき、テンポがゆっくりと感じるときがあった一方で、最後の名乗りは意外にアッサリとした印象で、2人が歌いやすいテンポを取ったかもしれないと思いながらも、わざとらしさを感じることはありませんでした。

 ネトレプコについては厚いオケを超えて声を響かせることについてはもともと全く不安は持っておらず、不安があるとするならなんといってもドイツ語であり、これは大多数の人の懸案事項でしょう。これが聴いていて・・・よくなくな~い?!?!ということで休憩時にドイツ人の人に尋ねたところ、何を言っているか分かるし、すごく勉強したことは想像できる。ベチャワもよいとのこと。ピッチが怪しくなったり高音が雄叫び風に聞こえてしまうことが全くなかったわけではありませんが、語るように歌うワーグナーではほとんど気にならず、その豊潤で柔らかい声はおっとりとした可憐なエルザでした。

 ベチャワについては以前リンツのアンサンブルだった上にチューリッヒでも活躍していたのですから、ドイツ語は全く問題なしとのこと。[猫]の願いはただひとつ。どうかイタオペみたいな泣きはいれないでネ、女々しくなるから・・・・ではありましたが、想像していたよりも凛とした騎士で立派でした。ただ3幕エルザとのやり取り以降、泣きが入ったり、歌いまわしがイタオペ風になることが少々あり。さらに、脇を固めていたのは堂々たるワーグナー歌いばかりという中、最後の名乗りでは更なる高揚感を要求されるのがローエングリン役という点で、そこはなかなか厳しいところ。これは個人的に本物のローエングリンばかり聴いてしまったが故の高望みであり、ロールデビューでそこまで要求することはできないのは当然ではあります。結局、ローエングリンというよりも白雪姫か眠りの森の美女に登場する王子様のような印象で、モンサルバートというのはブラバントの隣国であり、その王子が匿っていたゴットフリートを連れてきてくれたかのようなお話に思えたのでした。

 最後にワーグナー歌いたるものどうあるべきかを強烈なインパクトで示したのがヘルリツィウスで、全部持って行ったという感あり。元ゼンパーアンサンブルのヘルリツィウスにとってこの役は朝飯前でしょう。観客の多くは同様に感じたらしく、カーテンコールでは主役2人に勝らずとも劣らず賞賛あり。
 同じく元アンサンブルのツェッペンフェルトとて同様。加えてワーグナーでは実績のあるコニェツィーも伝令役のヴェルトンもよく、脇を固めた実力派揃いのワーグナー歌手と要である指揮のティーレマンによって高品質の公演となったのは衆目の一致するところとは思いますが、そんなプロ中のプロ集団の中、ネトレプコとベチャワの好演はワーグナーデビューとして大成功といって良いのでしょう。

 カビが生えそうな演出も、現在では古き良き時代の面影を残す貴重なものであり、存続意義はありそうです。本場ドイツでロールデビューだったネトレプコにとって、演技にそれほど気を使うことなく歌に集中できる演出は追い風でもあったかもしれません。一方、ベチャワにはスカラのグート演出のような、普通の男にローエングリンの精霊が宿ったといった演出のほうが合うのかもしれません。


 余談ではありますが、ワーグナーに全く興味のないネトレプコファンとベチャワファンも相当数押し寄せているだろうことから、フライングの拍手があるのではないかと懸念してました。一幕終了時はやはり幕に反応してしまった人がパラパラといて少々残念ではありましたが、2幕、3幕終了時には全くなし。周囲の人が注意をしたかもしれませんが、おそらくはあまりにパラパラとした少ないフライング拍手だったので自分自身で気づいたのでしょう。

 カーテンコールではイタリア人グループが舞台近くに押し寄せてました。スーツ姿でバッチリ決めたオヤジになる前のイケ面風集団でネトレプコファンかと思いきや、ティーレマンやその他の出演者にも同様に賞賛を送って大盛り上がり。イタリア人のワグネリアンだっていて当然です。隣に座っていたドイツ人の人はムーティ先生のファンとのこと。それも全く自然なことです。

 ネトレプコがバイロイトでエルザを歌うかもしれなような話もありますが、バイロイトでは聴く気はしません。他でも書きましたが、バイロイトはワーグナー歌いを目指した人達が実績を重ねて、ようやくたどり着くところであり続けてほしいからです。もちろん今後も歌いたければ歌い続けても良いとは思うのですが、どうしてもとまでは思いません。今のネトレプコで聴くのが一番という役は他にあって、エルザは他にも合う人がいるのですから、自然体で今の良さを発揮できる役に取り組んでもらうのが何よりです。

 尚、神々しき本物のローエングリンはこのとき、日本にいたのでした。それを鑑みると、ネトレプコのエルザを聴いたよ・・・と自慢できるかは?何故なら2人の歌い方が気になって物語としての感動があったかというと・・・・微妙・・・としか言えず。本物のローエングリンは何回も聴いているから新国はパス・・・そんな憎まれ口をたたいても、ただの負け惜しみのような気もするのです。
 いやいや、なんだかんだ言っても満足に決まってますって!
 


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