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セルセ・・Teatro Municipale di Piacenza・・2019/4/12 [オペラ]

 4月の旅行はベルリンのフェストが主目的ながら古楽で良いのがあったら一緒にと思い、気になったのはウィーンのオルランドとこのセルセ。ピアチェンツァが交通の便が良くないところだったらウィーンにしたのですが、ミラノからそう遠くないので初めて行ってみることにしました。
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Direttore Ottavio Dantone
Regia Gabriele Vacis

Serse ARIANNA VENDITTELLI
Arsamene MARINA DE LISO
Amastre DELPHINE GALOU
Romilda MONICA PICCININI
Atalanta FRANCESCA ASPROMONTE
Ariodate LUIGI DE DONATO
Elviro BIAGIO PIZZUTI
Orchestra Accademia Bizantina

 いろんな意味で新鮮かつ意欲的で好感度の高い公演でした。

 ヘンデルの『セルセ』は何回か鑑賞したことがありますが、CTがキャスティングされてない公演は初めて。それに演出上、アタランタの役柄にコミカルあるいはヒステリックな面を強調するような公演が多かったのですが、今回はオリジナル通りお茶目な策略家といった面はあっても特に強調することはなく、演奏は古典的で所謂インテンポ。こういったことが均質な流れの美しさを浮かび上がらせた公演でした。
 CTが異質というと適切ではないかもしれませんが、やはり発声や表現など女性歌手とは異なります。この公演に接して、CTをオペラの公演に起用することを好まない指揮者がいるのも理解できるような気がしました。だからといってCTを否定するわけではもちろんありません。異質というのは言い換えれば個性的。だから良いという面があり、それになんといっても男性が男性の役をやるのですから視覚的信憑性に揺らぎは皆無です。

 音楽が古典的であったのに対し、演出は古典と現代アートのコラボ。登場人物はクラシックな装いで舞台前方で演技する一方で、舞台後方ではTシャツ姿の何人かがゆっくりと抽象的な動きで表現。あいにく購入時に既にほとんどの席が売れていたため、手に入ったのは上方サイドの席。そのためどうしても舞台前方で歌っている歌手に視線がいってしまい、後方は常に見れる状況ではなかったのですが、それでも言わんとしていることは何であるか理解できた気がしてます。後方のTシャツ姿の人達は明らかに現代人の代表で、最初前方の登場人物との間には透明な幕があり、互いに気にしながらも交じり合うことはなかったのが、やがて透明な幕はなくなり、互いに寄り添う場面が出てきます。その有様は古典とはただ聴いて観ているだけのものなのか、もっと積極的に関われるのではないか、古典が現代で生き続けるとはどういうことなのか、そういったことを舞台上で問い、表現しているようでした。最後も今時珍しくオリジナルどおりでしたが、それも単に保守的ということではなく、寛容であることこそが現代に求められていることであり、実りある豊かな世界へと繋がるというメッセージが意図をもって表現されていた演出でした。とはいえ、これはあくまで個人的な解釈であって、抽象的な表現も多い演出は観る人それぞれに想起するものが異なり、解釈もさまざまだったかもしれません。
 また、健常者でないように見受けられた人も後方の演者の中にいたのですが、社会の一員として舞台にいることは自然で、役割を果たしてました。こういった面でも好感が持てた演出でした。

 均質な流れの美しさと書いた通り、歌手の人達は誰が浮いているわけでもなく、沈んでいるわけでもなく全員好演。中でも最もアジリタ三昧だったのはガルー。声自体は地味な印象ですが、ご主人の指揮、オケもご主人が率いるアカデミア・ヴィザンチナとあって水を得た魚だったことは言わずもがな。アスプロモンテが出演していたこともこの公演に足を運んだ理由のひとつですが、今回も歌、演技共に自然体でチャーミングでした。
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