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死の都・・・Teatro alla Scala・・2019/6/7 [オペラ]

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Direttore Alan Gilbert
Regia Graham Vick

Paul Klaus Florian Vogt
Marietta Asmik Grigorian
Frank/Fritz Markus Werba
Brigitta Cristina Damian
Juliette Marika Spadafino
Lucienne Daria Cherniy
Victorin Sergei Ababkin

 パウルに作曲家コルンゴルトの人生を重ねた演出と叙情性に満ちた演奏が、映画を鑑賞したような余韻を残した公演でした。
 ドイツのオケのようにキレのある音で、パウルの幻想と倒錯の世界を迫りくるような臨場感をもって表現しようとしても、ここはドイツの劇場のようにドライな環境ではありません。指揮のギルバートがスカラの音の魅力を活かし、有名なアリアをゆっくりと歌わせ、この作品が持つ叙情性を強調したことは納得できるものでした。もちろんパウルの幻想の場面では演奏に生温さを感じたのは否めないのですが、スカラの美しい音を聴いていると脳内では不思議と聴覚が視覚へ自動変換され、紗がかかった映像を見ているような感覚になってました。
 そんな紗がかかった映像から飛び出してきたようだったのがグリゴリアン。以前ザルツブルクのヴォツェックでマリーを歌ったときには非常に若々しい声だったことを思い出すと、今回は声に疲労感がなきにしもあらず。しかし、活き活きと動きまわりながら、なんら非の打ちどころなく歌う様は圧巻で、ここまで動きながら歌える人は男性だとエスポジトが思い浮かぶのですが、女性では他に思い当たりません。その様子はパウルの幻想を超えてパウルを苦しめているかのようでした。
 パウル役のフォークトのリリックな声は叙情性を強調した公演でも適役でした。ただハンブルクの一人芝居的演出のほうがポテンシャル全開だった気がしたのも事実。それはフォークト自身の問題というより、劇場や演出による臨場感の差から生じた感覚でした。
 舞台奥にはたっぷりとドレープの入った紗幕があり、幻想の場面ではそれが上がるとはいえ、奥行の広い舞台でドレープたっぷりの紗幕となれば臨場感は薄くならざるをえません。それでも臨場感が希薄だったことも叙情性を高めて映像を見ているような印象に繋がった要因で、それも映画音楽で成功した作曲家の人生を映像のように表現するという狙いだったのかもしれません。

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