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イル・トロヴァトーレ・・・Opéra Bastille・・・2018/7/13 [オペラ]

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Direction musicale Maurizio Benini
Mise en scène Àlex Ollé

Il Conte di Luna Željko Lučić
Leonora Sondra Radvanovsky
Azucena Ekaterina Semenchuk
Manrico Marcelo Alvarez
Ferrando Mika Kares
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 久々に接した歌の競演と書けば聞こえが良いかもしれませんが、個人的感想としては大声出したもの勝ち歌合戦と言った方が的を得ているような。。。。やらかしてくれましたソンドラさま。。。悲劇だというのにアンコール。。。
 ただラドヴァノフスキは謙虚な人のようで、かがんだ姿勢で歌い終わった後、観客の拍手に対して胸に手をあてながら小さくおじぎして感謝の意を表していたのですが、しばらく拍手が止まなかったので指揮者と目を合わせ、歌い始めの位置に戻ってもう一度歌ったという状況。早い話が指揮者の姿勢の問題というところかもしれません。
 アンコールについては以前にも何回か記述したので再度書きたくもないというのが本音。ただ実際に接すると書かざるを得ず。喜劇の場合はノリが大切なのでアンコールやアドリブがあっても良いと思えても、悲劇については興ざめ以外の何ものでもなし。トロヴァトーレの場合は話が荒唐無稽なだけに感情移入しにくいとはいえ、喜劇じゃあるまいし、今回の演出も喜劇風なわけでもなし。アンコールをやった時点で物語無視の単なる歌合戦と化してしまいました。イタリアオペラとは伝統的にそういう楽しみ方があるというのが肯定派の意見ですが、だからイタリアオペラは興味がないとしか言いようがありません。この件については100%トスカニーニやムーティを指示します!しかし、天下のムーティ先生がいくら言っても逆に孤高の人と言われてしまうのですから、[猫]ごときがどれだけ文句を言おうが、チコちゃんに叱られようが、何も変わらないのかもしれません。ムーテイ先生を賞賛し心酔しているかと思えばアンコールを肯定して喜ぶ人のなんと多いことか。まるでムーティ先生が後ろを向いたとたんアッカンベーをしているようなもの。
 それでも楽しみ方は人それぞれなので、結局は提供する側の問題であります。悲劇でのアンコールに違和感を持つ人はいても、アンコールをやらなかったとして違和感を持つ人がいるのか?そこを考慮願いたいものです。
 幸いグルベローヴァ、デヴィーア、バルトリ、ネトレプコなど今まで聴いてきた超一流のディーヴァ達はどれだけ長く拍手が続いてもアンコールはやらなかったし、かつてやったという話も聞いたことはありません。どうしてやらないのかも考えてほしいものです。

 なんだか文句タラタラとなってしまいましたが、大体常日頃聴く価値ないとかほざいて、観ては文句をいうことが多いのに、何故懲りずに観に来てしまったのか?全く学習能力のないヤツと言ってしまえばその通りで、チコちゃんに叱られても仕方ありません。
 聴きたかったのはマルちゃんのマンリーコ。それでマルちゃんはどうだったかと言えば、体型がスマートになって見た目が若々しくなったような気がしたら、出だしは声も少々痩せてしまったのではないかという雰囲気。徐々に声が出てきたとは思ったものの、2幕始まる前に調子が悪いけどこのまま歌うというアナウンスあり。やはりというところでしたが、調子は悪くても無難に最後まで乗り切ったという印象。初めて聴く人だったら充分に良いと思えたのではないかというくらい。ご本人はカーテンコールで申し訳なさそうに振舞ってましたが、物足りなさが残るとしたらマルちゃんの好調時を知っているが故であって残念というほどではありませんでした。
 考えてみるとマルちゃんも共演のルチッチも5年前にスカラの『仮面舞踏会』で聴いて以来。ルチッチはその歳月を感じたというか、いろんな意味で年取ったかという印象。これは当たり前といえば当たり前のことではあります。
 一番好印象だったのはセメンチュク。ゼルツで同役を聴いたときよりも迫力アップ。
 以上、以前聴いたのが基準の感想です。
 初めて聴いたラドヴァノフスキは非常に声が出て、弱音にいたるまでコントロールも行き届いているように思えましたが、声質が固く、まろやかさや透明感といったものが希薄で好みとは言い難い気がしました。

 演奏は大声大会用爆演。アンヴィルコーラスではアンヴィルを控え目に鳴らしてドンチャカ感はなかったのですが、演出が墓地のシーンだったので当然と言えば当然。演出は時代を現代に設定してましたが、演奏も演出も可もなく不可もなしとしか書きようがありません。

 

 


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ポッペアの戴冠・・STAATSOPER UNTER DEN LINDEN・・・2018/7/12 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Diego Fasolis
INSZENIERUNG Eva-Maria Höckmayr

FORTUNA, DAMIGELLA Narine Yeghiyan
VIRTÙ Artina Kapreljan (Solistin des Kinderchores)
AMORE, VALLETTO Lucia Cirillo
AMORE Noah Schurz (Solist des Kinderchores)
NERONE Max Emanuel Cencic
OTTAVIA Katharina Kammerloher
POPPEA Roberta Mameli
OTTONE Xavier Sabata
SENECA Andrea Mastroni
DRUSILLA Evelin Novak
LIBERTO, LUCANO Gyula Orendt
ERSTER SOLDAT, KONSUL Andrés Moreno García
ZWEITER SOLDAT Benjamin Popson
TRIBUN David Oštrek
NUTRICE Jochen Kowalski
ARNALTA Mark Milhofer
AKADEMIE FÜR ALTE MUSIK BERLIN
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 昨年10月に新装オープンしたベルリン国立歌劇場ですが、なんだかんだ遠征の度に訪れているので早くも六公演目の鑑賞。今回は古楽ですが、古楽を聴くのにも適したサイズの劇場です。

 幕が上がると派手な衣装を身に着けた出演者たちが一列に勢ぞろい。その様は何とも言えない高揚感がありましたが、舞台にセットといえるようなものは何もなし。舞台は床がそのまま湾曲して背後の壁に繋がっているもので、端の方に金色のレオタードとハイヒールを身に着けたマネキンが横たわっているのみ。一言でいうとコスプレ演出のようではありましたが、歌手は結構大変で、歌わないときでも常に舞台上で演技をしているという状況でした。結局出演者の演技が全てなので演技が下手な人がいたら印象も変ってしまうのでしょうが、出演者の好演もあって、登場人物一人一人の個性が分かりやすく際立ち、ユーモアを交えながら現代にも通じる人間模様を描き出していたのが秀逸な演出でした。

 なんといってもポッペアを歌ったマメリ。来日機会も結構あって日本でも人気があるようですが、[猫]は初めて。なるほど人気があるのも納得の美声。リサイタルやコンサート形式での出演が多く、演出つきのオペラの出演機会はあまり多くないようですが、非常に舞台センスも良い人で、ネローネとの愛情表現などは歌いながらもエロティックなからみで体当たりの演技。それでも様式感のある歌は安定感抜群で、もっと演出つきのオペラの出演機会を増やしてほしいと思うほど。野心溢れる挑発的なポッペアでしたが、オッターヴィアの追放に成功するやいなや、オッターヴィアの末路に我が身の末路を見出したかのように不安に苛まれる様子が彼女のその後の運命をも暗示したエンディングになってました。
 ポッペアが不安に苛まれる一方で、乳母役はこれで我が世の春とばかり浮かれ、落ちぶれていくであろうオッターヴィアの乳母に対して嫌味たっぷりに接しているのがさもありなんの面白さでした。

 ネローネ役のツェンチッチは高貴な雰囲気がありながらも自分勝手な皇帝を好演。ネローネについての伝承の一つであるバイセクシャルな面を盛り込みながらの演出は、ポッペアが自分のものとなったとたん、あっさりと彼女ではなく彼氏に興味を移してしまう振る舞いがクールすぎる皇帝でした。何よりマメリとの声の相性が良く、二人の重唱は極上。
 オットーネ役のサバタの優しい声はポッペアを憎み切れず、殺害を企ててもできないという役にぴったり。
 スカラの『タメルラーノ』で代役としてイレーネを歌ったチリッロが今回も様式感のある歌唱を披露。茶目っ気のある演技もさりげなくこなし、途中宙づりで舞台を横切ったのが可愛くて笑えました。
 セネカ役のマストローニの品格ある低い声が作品に重厚な味わいをもたらしてましたが、自害の場面で血潮が飛びすぎてしまって、オケピの中でチェンバロ奏者があわてて楽器を拭いていたのはちょっとしたアクシデントだったかもしれません。
 アモーレ、フォルトゥーナ、ヴィルトゥーナが子役とのダブルキャストだったのも何もない舞台では洒落たアイデアで、まだ小学生くらいの年齢だと思うのですが、見事な歌いっぷりでした。

 ベルリン古楽アカデミーの演奏は典雅な音で緊張感を保ち堅実。指揮のファソリスがスカラで『タメルラーノ』を振ったときと同様、終演後に譜面を高く掲げた姿が印象的。

 愛と策略が渦巻く人間ドラマは聴き応えも見応えもある秀作でした。
 
 この公演は11月のバロックフェストで再演予定です。



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パルジファル(コンサート形式)・・Berlin Philharmonie・・・・2018/4/6 [コンサート・リサイタル]

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Sir Simon Rattle Dirigent
Stuart Skelton Tenor (Parsifal)
Nina Stemme Sopran (Kundry)
Franz-Josef Selig Bassbariton (Gurnemanz)
Evgeny Nikitin Bassbariton (Klingsor)
Gerald Finley Bassbariton (Amfortas)
Reinhard Hagen Bass (Titurel)
Rundfunkchor Berlin
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 楽劇『パルジファル』というより交響曲『パルジファル』といった様相を呈した公演。主役は歌手も含めて全ての楽器で、それぞれの楽器の音が鮮明に緻密に聞こえてくる様はベルリンフィル以外ではありえないといった演奏でした。ただテンポが速く、あまりに緻密に全ての楽器が主張しすぎるといった感があって物語に入り込む余地がなく、一幕は困惑ぎみで終わってしまいました。しかし、ここは歌劇場ではなくベルリンフィルの本拠地フィルハーモニー、歌劇場で聴くのと同じような演奏でないのは当然なのかもしれません。そう割り切って聴くと2幕以降物語に入り込める部分もあったのですが、主張する楽器の音に物語からはじき飛ばされるような感覚になることがしばしば。最後までワーグナーの世界に深くは入り込むのは難しく、救済感も表面的に思えてしまいました。
 似たような違和感を感じた人が多かったのか?休憩をはさむ度に客席は空席が目立つようになり、3幕が始まる時には[猫]が座った列など半分以上が空席という状況になってしまいました。

 緻密な演奏の中、歌手の人達は端正に朗々と歌っていたという印象で、特に良いと思えたのがアンフォルタスとクリングゾル。演出によって歌い方は変わるものですが、アンフォルタスは大袈裟に伝えるよりも抑えた中に苦しみを伝える表現のほうが好みなので、今回のフィンリーはウィーンで聴いた時よりも良いと思えました。クリングゾルもクールに歌うほうが好みということもあり、更にはニキーチンの美声がクリングゾルに単なる悪役ではない悲劇性をもたらしていたのが好印象でした。
 タイトルロールのスケルトンのパルジファルを聴くのは2回目ですが、声も見た目も素朴な雰囲気でパルジファルには合ってます。一人オロオロと不安げにオケや観客席を見渡しながらの登場は冒頭から完全に役に入り込んで好演でした。
 他のソリストの人たちも盤石、コーラスも上質だったのですが、花の乙女達の声の相性が今一つの感がなきにしもあらず。

 ただ歌手云々というよりも前述のようにベルリンフィルという精鋭軍団の演奏の見事さに圧倒されたという印象が残る公演で、同時に、歌劇場で聴いたとしたら物語に没頭できないという状態にストレスを感じるように思えた公演でもありました。
 バーデンバーデンではなく、フィルハーモニーで聴くことを選んだのはラトルのワーグナーの評判がドイツ語圏で芳しくないというのが理由の一つでしたが、[猫]はドイツ人ではないので大丈夫かと思いきや、芳しくない理由が分かるような気がしたのでした。
 
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カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師・・・Deutsche Oper Berlin・・2018/4/5 [オペラ]

Musikalische Leitung Stefano Ranzani
Inszenierung David Pountney
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Santuzza Ildiko Komlosi
Turiddu Gaston Rivero
Lucia Ronnita Miller(演技)Diane Pilcher(歌)
Alfio Dalibor Jenis
Lola Irene Roberts
Zwei Bauern Max Stieren Frank Wentzel
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Canio Vladimir Galouzine
Nedda Erika Grimaldi
Tonio Dalibor Jenis
Beppo Andrew Dickinson
Silvio Thomas Lehman

 この二演目は以前TV放送を録画して見始めたものの10分するかしないうちに、つまらん。。。と止めてしまって即消去。そんなことがあったので観たいと思う作品ではありません。ただこの日、リンデンは既に2回鑑賞した『魔笛』とあって、3回目というのもなんだかなーと二の足を踏んでしまったというわけ。その後リンデンで『魔笛』が新制作と発表され、観ておけば良かったと一瞬後悔しましたが、シンケル版も存続とあってホッとしました。

 当初サントゥッツァにはバルチェロナがキャスティングされていたのですが、この時期リンデンの『ファルスタッフ』も出演とあって降板する可能性もあると踏んでいたところが案の定。その他、ルチア役の人が調子が悪いということで演技のみ、舞台脇で代役の人が歌うという状態での上演。それでも歌手の人達には全く文句はありません。
 問題はやはり音楽そのもので、序盤からブンチャッチャブンチャッチャ・・・まずいよ~~脳内で昭和ノスタルジックモードが入っちゃうよ~~三輪トラックだよ~~~なんて思っていたら・・・舞台にソロソロと出現したのは三輪トラック。。。。完。。。。
 久々に座席から転げ落ちて両足着地失敗。後は席によじ登る気力もなく床でゴロゴロしとりました。ブンチャッチャ三昧を楽しむ能力がないということを棚上げしての逆切れ状態とはいえ、いい加減にしてほしいくらいのブンチャッチャ三昧にはブンチャッチャアレルギー発症。録画と違って即消去というわけにもいかず、ほとんど違うことを考えて過ごさざるをえず。
 [猫]がいつも異なる次元を走るペガサスと称しているフローレスがこの劇場に出演したとき、やはりペガサスはペガサスと思っていたら舞台に巨大なペガサスが出現したことがあったのを思い出しましたが、今回の三輪トラックしかり。これは一体どういうことか?[猫]に予知能力があるわけはなし、発想がパクられているわけもなし。似たような発想をする人がいると考えれば少々嬉しい気もするなどと、そんなどうでもよいことまで考えてしまう始末。休憩になったらケーロケロとカエルか?とも一瞬思いましたが、それでも次は異なる作曲家の別作品ということでそのまま観ることに。

 『道化師』が始まると冒頭の舞台はなんと『カヴァレリア・ルスティカーナ』の最後の場面と全く同じ状態。これはボンネットバスも登場かと頭をよぎりましたが、やはり予知能力はありませんでした。 
 舞台は坦々とクールな雰囲気に変わっていき、そんな中ガルージンがさすがのパフォーマンス。この人は役によって雰囲気をガラリと変えてくれます。今回は冴えないしょぼいオッサン。一人焦燥感を募らせてていくのが実にリアルで上手い。ただ坦々とした舞台だったこともあって鑑賞する側としても坦々と、というより正直なところ冷めた感じで見ていました。
 ところが最後に待っていたのは想定外の結末![猫]は逆毛総立ちになる直前に瞬間冷凍。放射上に毛が逆立ったまま解凍に数秒間要しました。冴えないオッサンの正体は恐ろしいほどクールなオッサンでありました。何故坦々とした雰囲気だったのかも納得。ガルージンをはじめとして演出の意図にそって歌い演じきった歌手の人達の上手さに、良い意味で騙された感があったのがツボでした。

 思いがけずも最後の数分で手のひら返しの感想となりましたが、興味を持てない演目でも意外性のある演出によって救われた気がしました。
 


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パドモア、クック、ウィッグルスワース・BERLINER PHILHARMONIE・Kammermusiksaal・2018/4/4 [コンサート・リサイタル]

Mark Padmore Tenor
Ryan Wigglesworth Klavier
Allison Cook Mezzosopran
Mitglieder des Vocalconsort Berlin

SCHUMANN: Liederkreis Op.39
WIGGLESWORTH: Echo and Narcissus
JANACEK: The Diary of One who Disappeared

 ベルリンフィルハーモニー室内楽ホールでの初鑑賞。目的がパルジファル2公演だったとはいえ、バーデンバーデンでベルリンフィルのパルジファルを聴くという選択もあったのにもかかわらず、日にちが開いてもフィルハーモニーの公演を選んだのはこの公演が気になったのが理由の一つでした。

 特に印象に残ったのは後半のヤナーチェクの歌曲集『消えた男の日記』、ジプシーの娘に心奪われ、終には故郷を捨て去ってしまった若い農夫の物語です。
 室内楽ホールのウェットな音響がジプシー娘役のクックの歌声の妖艶な力を際立たせ、さらに観客席最上階後方で歌う女声コーラスが神秘的にホールに満ちるさまは恐れのような感覚を抱くほどで、青年の心を揺さぶるのに充分すぎるものでした。若い農夫役パドモアは純粋で素朴な印象で好演。暗く冷たい緊張感に満ちた作品は鑑賞していて息苦しさのような感覚をも伴うものでした。最後に故郷を捨てる決心をした後でも余韻として残るのは解放感より痛々しさ。それは人間の性と社会の掟の間で揺れ動いた青年の未来への不安と残された人々の悲しみを内包しているかのようで、この作品の地であるモラヴィアの農村の風土をも彷彿とさせる作品でした。

 
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