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タンホイザー・・Bayerische Staatsoper・・・2017/6/4 [オペラ]

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Musikalische Leitung Kirill Petrenko
Inszenierung Romeo Castellucci

Hermann, Landgraf von Thüringen Georg Zeppenfeld
Tannhäuser Klaus Florian Vogt
Wolfram von Eschenbach Christian Gerhaher
Walther von der Vogelweide Dean Power
Biterolf Peter Lobert
Heinrich der Schreiber Ulrich Reß
Reinmar von Zweter Ralf Lukas
Elisabeth, Nichte des Landgrafen Anja Harteros
Venus Elena Pankratova
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 バイエルンのタンホイザー、日本公演を控えているとあって話題にならないわけはありません。
 不思議くん、ユニコーンなどと呼んでしまうほど圧倒的な声の力を持っているフォークトのロールデビューですが、今までのヘルデンテノールとは明らかに異なるタイプであり、これからもこのようなタイプの人が現れるか分からないと思うほどであります。今までとは異なるがゆえに違和感があるという人がいるかもしれませんが、今までとは異なるからこそ新しい『タンホイザー』にしようという意欲が指揮のペトレンコにも演出のカステルッチにも全面的に現れていた公演でした。

 カステルッチの演出は異次元の声には異次元の空間をとばかりに時空を超えた演出。
 ペトレンコ指揮の演奏は美しい音で歌手の声に優しく寄り添うかと思えば、全てを包み込むように広がる様は変幻自在。今まで聴いた『タンホイザー』と異なる部分があるような気がしたのですが、ウィーン版を元に一部ドレスデン版を採用したとのこと。そういった意味でも今まで聴いたことがない『タンホイザー』でした。
 
 日本公演を控えているのであまり詳細を書くことはよろしくないのですが、抽象的でさまざまなことを示唆する演出は、その解釈において何が正しく何が間違っているということもなく、人それぞれの解釈が可能という柔軟性がありながら、大筋では多様性を示唆しつつ最後は観ているものを一種の悟りへと導くものでした。

 既に映像配信もあったようですし、人それぞれ解釈が可能な演出ということで、個人的な感想を書いたとしてもどうということはないでしょう。

 序曲では何本もの矢が放たれ、その的は目と耳。それは既存の作品の記憶を忘却へと導き、新しい『タンホイザー』になるということを示唆していると共に、光陰矢のごとく時空を超えるということも暗示していたようでした。
 一幕、肉欲の世界から脱出し、堕落から抜け出したはずが待ち受けていたのは無益な殺生をする血生臭い世界だということに愕然とするタンホイザー。価値観の多様性を示すことで、この演出はタンホイザーを単なるダメ男にはしていませんでした。
 二幕は古代。登場人物の衣装にはギリシャ風、エジプト風、アラブ風など民族の多様性が表れ、歌合戦に参加する騎士たちも日本の白装束のような衣装でした。
 三幕は数千年後、数百万年後・・・遥か遠い未来。
 タンホイザーとヴォルフラムの役柄設定が対照的だったのが印象的で、激昂のタンホイザーと達観のヴォルフラムといった様相。多様性の間で矛盾を抱え激昂するタンホイザーは思春期の少年のようであり、全ての感情を飲み込むように穏やかな抑制を保つヴォルフラムは諸行無常を唱える僧侶のようでした。
 フォークトのタンホイザーは初めてなので他の演出での歌い方と比べようもありませんが、シラーで聴いたゲルハーハーのヴォルフラムは言葉一つ一つを大切に感情を込めて歌い、正に詩人といった印象だったことを思い出すと、今回はそれとは明らかに異なる表現でした。
 ハルテロス演ずるエリーザベトは愛する人のために一人の女性であることを捨てた聖女。凛とした美しさは歌声と共に輝いてました。
 ツェッペンフェルト、パンクラトヴァをはじめ脇を固める歌手も盤石で、一言で感想を書くとすると、歌と演奏が創る世界に圧倒され続けた公演でしたが、それも歌手は常に舞台前方で自然体で歌に集中できる演出で、舞台後方でその他大勢が何かを示唆するように演技をするという手法が功を奏しているように思えました。

 終盤大きく広がる音楽の中、最後に舞台上で示された収束は「悟り」のような安息をタンホイザーにだけでなく観客にももたらすものでした。
 どれだけ多様性があろうとも生きとし生けるもの全てがやがてひとつになる。
 多様性が故に混沌とし続ける現代社会に一石を投じるかのような秀作でした。

 ペトレンコが2幕終了時、楽譜をめくってここだとばかりに指をさした後、オケピに残ってチェロのメンバー達と何か話し合ってました。表情は穏やかでしたが、何か問題でもあったのか?素人には皆目見当もつきませんでしたが、理想とする音楽を追及する真摯な姿勢が垣間見れ、そういった姿勢も今やベルリンフィルを担うまでに至った要因の一つなのかもしれないと思ったのでした。

 もちろんカーテンコールは賞賛の嵐。