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ラインの黄金(コンサート形式)・・Festspielhaus Baden-Baden・・・2017/6/3 [オペラ]

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Marek Janowski Dirigent
Michael Volle Wotan
Katarina Karnéus Fricka
Johannes Martin Kränzle Alberich
Daniel Behle Loge
Gabriela Scherer Freia
Lothar Odinius Froh
Markus Eiche Donner
Nadine Weissmann Erda
Elmar Gilbertsson Mime
Christof Fischesser Fasolt
Lars Woldt Fafner
Mirella Hagen Woglinde
Julia Rutigliano Wellgunde
Simone Schröder Floßhilde
NDR Elbphilharmonie Orchester

 長い間病気療養していたクレンツレのアルベリヒ、尚且つヘンゲルブロックが指揮とあって楽しみにしていたのですが、ヘンゲルブロックが降板してしまいました。代わりに指揮を執ったのは、困ったときは任せろとばかりにご活躍のヤノフスキ師匠です。

 当然思い出すのはN響との春祭の公演ですが、その時の舞台配置とは左右が逆で、春祭では下手にあったハープは上手に、上手奥で歌っていた巨人兄弟は下手奥でした。他の歌手の人達はオケの前、エルダが上手側2階客席で歌うというのは同じでした。

 正確な音で演奏するという上手さではN響はさすがのものがありましたが、重心の低さはやはりドイツのオケです。[猫]の拘りである巨人族のサイズはN響ではアントニオ猪木くらいでしたが、余裕でハグリット以上でした。N響との演奏は反応が良すぎてサラサラと進んんでしまったというところでしょうか?2時間15分しかかかりませんでしたが、今回は2時間25分程でしたからほぼ中庸といったところ。もちろん歌手も違いますから、同じヤノフスキ指揮といっても大分印象は異なるものでした。

 譜面台は置かれていてもほとんどの歌手には無用の長物。自然に演技のような動作も伴って醍醐味は満点。
 充実の歌手陣の中で最もカーテンコールで賞賛を受けたのはクレンツレ。言葉を大切にして時に吐き捨てるように歌う上手さはさすがで、呪いの歌も絶品。スカラで同役で聴いたときを思い出しましたが、病気から完全復帰で一安心しました。スカラで聴いたときが初めてかと思っていたところ、最近になってザルツの『ディオニュソス』で主役のNを歌っていたことに気づき、難しそうな役も好演していたと思い出して、改めて存在の重要さを認識したのでした。
 クレンツレとほぼ同様に賞賛されていたのはフォレ。歌も姿も威厳がありながらそこはかとなく苦悩と憔悴感がにじみ出る様相は正にヴォータン。
 歌手陣の中で唯一楽譜を手にしていたのがローゲ役のベーレ。今夏のバイロイトのローゲですが、間違ってました。フローです。まだ楽譜があったほうが安心といったところでしょうか?フロー役のオディニウスもドンナー役のアイヒェも百戦錬磨といったところで完全に役に入り込み、方や腕を組み、方や腰に手を当ててお互い顔を見合わせ、お手並み拝見といこうじゃないかという様子でローゲを見ているのが現実の状況と重なってるようでした。これがなんとも新鮮な味わいのあるローゲで、若々しく清々しい知的な声は名探偵コナンか一休さんか?いや、若き日のシャーロック・ホームズか?といった雰囲気で、実際カーテンコールでクレンツレ、フォレに続いて賞賛されていたのがベーレでした。
 ファーゾルト役はリンデンの元アンサンブルであるフィッシェサー。この人のクリングソルは非常にクールで好みでしたが、久しぶりに聴いた声には温かみが感じられるようになっていて、ファフナー役のヴォルトの凄みと迫力のある声と対照的で、共に役に合ってました。
 他のキャストも盤石。
 ドンナーの雷は実際にアイヒェがハンマーを持ちアンビルを鳴らすという趣向も面白いものでした。

 ザルツブルクからの移動は結構大変でしたが、来た甲斐があった公演でした。


アリオダンテ・・Haus für Mozart・・・2017/6/2 [オペラ]

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Gianluca Capuano, Musikalische Leitung
Christof Loy, Regie

Nathan Berg, Der König von Schottland
Kathryn Lewek, Ginevra
Cecilia Bartoli, Ariodante
Rolando Villazón, Lurcanio
Sandrine Piau, Dalinda
Christophe Dumaux, Polinesso
Kristofer Lundin, Odoardo

Salzburger Bachchor
Alois Glaßner, Choreinstudierung
Les Musiciens du Prince – Monaco
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 相変わらず書くことが億劫です。1か月以上放置してしまいました。

 ザルツブルク聖霊降臨祭初日。H/Pに掲載された髭のバルトリの写真が興味を惹いた公演です。
 
 時代は現代に設定した演出でした。冒頭はほとんどの登場人物がHIPの衣装だったのにポリネッソだけが現代の衣装で登場したので少々戸惑いはありましたが、これが余興としてHIP様式のダンスを楽しむという設定で、登場人物もそれに参加するための衣装合わせをした状態のようでした。ロイ演出で一部HIPを取り入れたものなので、1月に見たチューリッヒの『アルチーナ』の二番煎じと言えないこともなしではありましたが、同性カップルが認められつつある現代を象徴するような内容で、バルトリが最も得意とするユーモアのセンスに満ちた演出でもありました。夏のザルツブルク音楽祭で再演されるので、多くを書くのは好ましくないかもしれませんが、1幕と3幕冒頭にイタリア語でナレーションが入り、ドイツ語と英語の字幕もあるので難解ではありません。
 『アルチーナ』より良くなっていると思ったのはダンス。結構ステップを早く踏んでいるにもかかわらず、音がほとんど気にならないのは大きな進歩でした。ダンサー達は全員男性ですが、白いドレスを身に着けたダンサー達の踊りはバロックジェスチャーを基本にした繰り返しの多いもので、軽快なテンポでありながら優雅なステップで愛らしく、一時期流行ったパラパラのようなノリの良さがあって大きな見どころの一つになってました。

 ユーモアのセンスはバルトリの真骨頂であるアジリタを堪能する場面でも発揮されていて、酒瓶を片手に酔っぱらいながら歌ったり、葉巻を吸いながら歌ったりという設定で楽しませてくれましたが、長いアリアの途中で間をとり、いかにも酔っているようにゲップを入れてふらついたり、タバコを大きく吸ってはく仕草を入れたりするのは観客を楽しませるだけでなく、途中息を整えることができて歌いやすい面もあったのかもしれません。
 そんな軽妙なユーモアがある一方で、ジネーヴラが苦しみを歌うアリアは非常にゆっくりとしてシリアスさを強調。演出に合わせてテンポを大きく変えたり間を取ったりする音楽づくりは演出と同様に現代的な印象となってました。
 指揮はローザンヌの『アリオダンテ』で好印象だったファソリスが執ることも楽しみではあったのですが降板。演出に合わせて多様に変化する演奏はローザンヌで聴いたものとは大きく異なり、今回はコンセプトが合わなかったのか?と勝手に想像してしまいました。

 個人的には古楽の演奏はあまり変化させないほうが好みではありますが、観客を楽しませる趣向満載の公演は初日であるにもかかわらず大変完成度が高く賞賛に値するものでした。

 演技が要求される演出ではあってもバルトリだけでなく他の歌手の人達も盤石。
 デュモーのポリネッソを聴くのは2回目ですが、今回も芯の太い声でアジリタはまろやか。古楽に興味を持ってからCTの人達を聴く機会が増えましたが、どの音域でも無理のない発声で安定感抜群の上、悪役の雰囲気たるや抜きんでるものがあります。
 ところでこのポリネッソ、悪知恵は働くのに剣は弱いというツメの甘さで憎みきれないところがありますが、無念さを表すがごとく最後にからくりがあるのも面白い演出です。

 カーテンコールは賞賛で溢れてましたが、終了後、閉じたカーテンの向こうから出演者の歓喜の声が聞こえました。リハなどもさぞかし大変であったろうと想像できる内容の公演で、初日成功の喜びも一入だったに違いありません。