SSブログ

オテロ・・・Opernhaus Zürich・・・2012/1/1 [オペラ]

P1020710.JPG
Conductor Massimo Zanetti
Producer/production Graham Vick

Barbara Frittoli (Desdemona), Judith Schmid (Emilia); Jose Cura (Otello), Thomas Hampson (Jago), Stefan Pop (Cassio), Benjamin Bernheim (Rodrigo), Pavel Daniluk (Lodovico), Tomasz Slawinski (Montano), Evgeny Sevastyanov (Ein Herold)

この公演が今回の旅行で最後の公演です。
全部書き終わる前に、オペラどころではないという生活に戻ってしまいましたが、
正直申しまして、公演中寝ましたので、感想というほどのものは書けません。

フリットリ、クーラ、ハンプソンと揃えば、これまた豪華キャストです。
フリットリはスカラで出演後、ここでデズデモーナと忙しいことですが、まるで今回の旅行はフリットリの追っかけのようになりました。
指揮のガッティが急病ということで、ザネッティに変更になりましたが、ザネッティは以前ここで西部の娘」を聴いたことがあって、良い印象が残ってます。
ただ昼は別の公演をやっていたわけですから、ほとんどぶっつけ本番ではないでしょうか。
プレミエは昨年の10.11月だったわけですが、キャストはフリットリはこのシリーズからの参加ですが、クーラ、ハンプソンはプレミエと同じです。
しかし、指揮者が急な変更となると、コンセプト云々は後回しでしょう。

それ以前に・・・・
[猫]の最大の問題はやはり劇場の音響でした。
既に昼間の公演で[猫]の耳は黄色信号だったわけですが、この公演の途中から完全に赤信号・・・・・
ここチューリッヒのサイズはバロックやベルカントものには適していますが、ヴェルディはもっと大きな劇場で鑑賞したいものだと思いました。

席は2階席の最後列。
かぶり席なので、音響も少しは響かないかと期待したのですが、甘かった。。。。

オケの音が良いと感じたことがない、と書いたことがありますが、少々能天気、繊細さにに欠ける響きというところです。
声もよく通るので、スカラで調子が今ひとつだと思われたフリットリも、どの音域でも伸び伸びと、声を均質に響かせ、調子良さそうには聴こえます。
しかし、均質すぎるのです。
まるでマイクを通しているような響きになってしまって、細かなニュアンスに乏しく、スカラでの声の方が美しかった。
こんな感想を持つのも少し前にスカラで聴いてしまったがため・・・ではありますが・・・・
歌が命のヴェルディで歌声のニュアンスが乏しくてどうする。。。。と思うのですヨ。

そして勘弁してほしかった、コーラス。
うるさーーーーーーい!
ここのコーラスは揃っていて、きれいだと思うことが多いのですが、大人数のコーラスは迫力という段階を超え、
うるさい!デリカシー欠如も甚だしい。
指揮者が急に変わっても、コーラスの責任者はいるはずなのに、何故????
観客は難聴のじいさん、ばあさんばかりではない・・・ちゅーの。。。

ここまで書いて、我ながら笑えるのは自分自身にデリカシーだの繊細だのという要素は全くないくせに、ようこんなん書くわ・・・というところ。
耳はデリケートなんです!
耳が辛い・・・・・
耳を抑えて鑑賞することに・・・
Zzzzzzzzzzz・・・・・・・・
ということです。
結局ヴェルディは今回も子守唄。

スカラで聴く前、また耳が元気なうちに聴いていれば、もっと楽しめた公演だったのかもしれません。
これだから旅行計画は公演だけでなく、巡る劇場の順番まで考えたほうがよいのでした。
今回はスカラに行くことになってしまったのが、この「オテロ」の散々な結果につながった感があります。

ただ元気な耳で聴いたら、あのコーラスも迫力あるぐらいで済んだかどうか?は疑問です。

かくして、この豪華キャストをしてもヴェルディ=子守唄だったわけですが、
考えてみると苦手というわけでもないのですよね・・・・ただ眠いだけで・・・・一緒か???
まぁ、そのうちドレスデンの「リゴレット」を超える公演に巡り会えるかもしれず・・・
眠けりゃ眠いで、寝てしまえばよいだけのこと・・・・
お気軽にこれからも聴きたければ聴く、聴きたくなければ聴かない・・・・と。

この公演では特に演奏が爆演だったということでもなく、音楽自体、ブンチャッチャ感もほとんどなく、流れも良かったとは思うのですが・・・・響きが耳に堪えた(v v ;
タイトル・ロールのクーラは好調、オテロを歌わせたら最高峰でしょう。
フリットリもモーツァルトより、ヴェルディの方が似合うのだろうと思います。
ハンプソンも綺麗な善人声なのですが、その姿と雰囲気が嫌なヤツという味を出していて、好演だったのだろうと思います。
シュテファン・ポップはハンブルグの「椿姫」でヴァルガスの代わりにグルベさまの相手役に抜擢された人です。
[猫]が観た日だけはいつものお相手、ブロスだったのですが、その時ドイツでは新人が抜擢されたとニュースになってました。
楽しみにしてましたが、なるほど、良い声です。
でもこれといって大きな特徴がないような?・・・・
なんて思っているうちに寝てしまいましたから・・・・
感想も中途半端・・・だろう、だろう・・・ばかり・・・・。

演出が現代に置き換えられ、湾岸戦争、イラク戦争を連想させます。
それほど違和感はなかったのですが、途中で羊の絵が書いてある看板が置かれ、
白い羊+白い羊=v(チェック・マーク)
白い羊-黒い羊=v
白い羊+黒い羊=×(バツ)     
このような暗示とも呼べないもの、これが舞台の左3分の1以上を占めるくらい大きく、ドンと置かれているのはかなり邪魔くさい。
なんなんでしょうか?この幼稚園児用の看板は?

一方で4幕の演出は何もない空間で印象的でした。
舞台中央で、フリットリは黒の下着姿(スカラでも見たなー・・・でもスカラはサイドにレースがほどこされたものだったけど、こちらはなし)になり、真っ白なウェディングドレスに着替えながら歌います。
ウェディングドレスは冒頭、登場時にも着ていたもの。
クーラとフリットリの2重唱「今夜の祈りは済ませたか?」
自らの愚かさと絶望感で、デズデモーナを抱いたまま自殺するオテロ。
フリットリもクーラも良かった!
この最後の場面だけでも堪能させてもらったということで・・・・。

最後はなんともヨーロッパらしい終わり方。
演奏が終わり、幕がスーっと降りる。
降りきってもしばらく拍手がありません。
あれ?みなさーん?起きてますかー?[猫]は起きましたよー。
と、これはもちろん冗談。
席から指揮者の姿は見えませんでしたが、指揮者がタクトを下ろすまで、きちんと誰も拍手をしなかったのでしょう。

カーテン・コールはブラヴィーが飛び交いましたが、比較的あっさりめ・・・。
[猫]同様、耳が音の圧迫から開放されて、ホッとしていた人もいるかも?
それこそスカラで鑑賞できたら、さぞかし良い公演だろうなーと思ったのでした。

次の日、トムヤムクンを飲んだら、辛さが耳にしみました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0