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パルジファル・・・ Het Muziektheater ・・・2012/7/5 [オペラ]

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musical direction Iván Fischer
director Pierre Audi

Amfortas Alejandro Marco-Buhrmester
Titurel Mikhail Petrenko
Gurnemanz Falk Struckmann
Parsifal Christopher Ventris
Klingsor Mikhail Petrenko
Kundry Petra Lang
orchestra Royal Concertgebouw Orchestra

初めて訪れた劇場です。

グルネマンツをシュトルックマンが歌い、タイトルロールはヴェントリス、クンドリはラングと聴いてみたい人が出演するので楽しみでした。
最近なんだかほとんどシュトルックマンの追っかけですね。
おまけにオケはコンヘボというのもさらなる楽しみでした
が・・・・・

来れるかぎりぎりまで分からなかったので、チケットを買うのが遅くなってしまいました。
ふとサイトを覗くとほとんど残ってないという状態で、平土間最後列の席。
これが被り席だったこともあると思いますが、音響にはちょっと・・・(・3・) アルェー?

コンヘボの演奏は一幕は優しく、哀愁に満ちたものでしたが、音響がフワーっとした残響感
2幕になって明らかにボリュームを上げて緊張感を出しているのですが、このフワーっとした音響のせいなのか?被り席のせいなのか?
音の密度が薄く(・3・) アルェー?スポンジじゃん
音は飛んできていて、鳴ってはいるのですが、音の輪郭がはっきりせず、結局最後まで音がホワホワというか、フワフワというか・・・・・
イタリアのオケもこれに比べたらヘナチョコじゃない
スカラでは平土間で聴いて最初こそ拍子抜けしますが、すぐに気にならなくなる程度
ここはずーっと気になってモヤモヤしてました。

コンヘボを聴くのは初めてではなく、実は30年ほど前に本拠地で聴いたことはあります。
でもそんな昔のことですから、当然音の記憶はなし
しかし、コンヘボがこんなにヘボイわけはない・・・
というくらいにヘナチョコに聴こえる音響でした。
これは次の日バイエルンで「ジークフリート」を聴いたので、音の違いは歴然

ただイヴァン・フィッシャー指揮の演奏の構成そのものは納得で、最後の1フレーズ、一音まで行き届いた巧さは伝わるものでした。

一方、歌手の人達は音響がデッドであっても問題なく響かせることができる実力者ばかりなので、その声は響きすぎというくらいガンガン

どうもグルネマンツを歌うのは初めてらしいシュトルックマンですが、いつも言葉一つ一つを大切にして説得力がある歌い方をする人なので、今回も苦悩、苛立ちは強く伝わりました。
しかし、これまでに聴いたパーペ、ケーニッヒなどのバスの声の響きがもつ悲哀といった趣が希薄なのは、バリトンでは難しいところなのかもしれません。
これは微妙なニュアンスが乏しくなる響きすぎる音響のせいもあるかもしれません。

この音響のせいで同じく損しているのでは?と思えたのはクンドリ役のラング
大変しっかりと歌っているのですが、苦しみ、戸惑いといったところが希薄になってしまい、魔性の女という恐さのほうがずっと強い印象になってしまいました。
しかし叫びや呻きなどが真に迫っていて上手さが伝わります。

この音響でも問題なく良さが伝わる一番の役どころはクリングゾル
ペトレンコは4年前にハーゲンで聴いたことがあって、その時はちょっと曇った独特の声という印象が残りましたが、今回はずっと声がクリアでした。
この役は変に人間的なところを出さず、冷たく、眈々と威圧的に歌うほうが好みなので、凄くよいと思いました。
またティトレル役も歌っているのですが、どこで歌っていたのか?
声も以前聴いた声のように曇りがちで、少し遠くに聞こえたので舞台袖か後方の見えないところで歌っていたのかもしれません。
でも役柄の違いが明らかに表現されることとなってました。

ヴェントリスは強さもありながら、優しく語りかけるような歌い方も上手く、ベテランらしさが随所にうかがえました。
また容姿が人のよさそうな癒し系なのがよい。

ノーマークだったのにもかかわらず、凄くよかったのはアンフォルタス役マルコ=ブールメスター
演出がアンフォルタスをキリストの磔刑の姿にすることで、鮮明に浮かび上がらせてます。
演技も見ているのが辛いほど痛々しく、歌に込められる苦しみの表現がさらにリアルに伝わるものとなっていました。

演出は以前『アッティラ』ターザンヴァージョンや意味不明の『ディオニュソス』と同じガウディ
今回は特に読み替えもなく、シンプルなものでした。
1幕は岩山の一画といったセットがあり、聖杯の儀式ではやぐらが組まれます。
でも2,3幕は日の丸弁当
つまり舞台には○があるだけで、他にセットと呼べるようなものはありません。
2幕は丸い凹型反射鏡が舞台の真ん中に凹面を観客側に向けて上から吊り下げてあるだけ、
3幕は丸型に真ん中をくりぬいた板があいてあるだけ、どうも舞台上方に2幕で使用された反射鏡が凸面を下に向けて吊り下げられてあったらしいのですが、被り席のため、舞台上方が見切れて見えなかった^^;
しかし、このシンプル極まりない日の丸弁当様式演出は悪くなく、確かに丸と言ってもよいくらいでした。
2幕、花の乙女達の衣装が写真でお分かりいただけるように紫を基調にした色のバリエーションがある衣装で、それが反射鏡に映り、妖艶な世界が作り出されてました。

また場面によって、赤、青といった照明によって強く照らされるのですが、一幕ではこれがちょっと困惑の原因に・・・
1幕は真っ赤な照明で、赤と黒のコントラストの強い世界で舞台が繰り広げられるのですが、最後列から見ているとオペラグラスを使っても登場人物の表情がわからず、
さらには響きすぎる音響のせいでどの小姓が歌っているか分からないときさえあり、結局のところ、やはり音響がストレスの原因ということですね。
そんな中、キリストのようなアンフォルタスだけがスポットライトで白く照らされるのは非常に印象的で、クンドリのトラウマを強調しているものでした。

ただ演出の意図が分からない部分もなきにしもあらず・・・
クリングゾルの投げた槍を手で受け止める場面は実際に手で受け取りません。
パルジファルは手の平をクリングゾルに向けて突き出すように腕を伸ばすだけ、離れた場所から槍を投げようとしていたクリングゾルはその瞬間バタっと倒れ、投げた槍は地面にたたきつけられます。
ここで槍が折れちゃったのですけど・・・???
これってアクシデントのような?
え?折れちゃっていいの?と思ったのですが・・・・?

3幕、アンフォルタスはパルジファルによって槍で刺されて死を迎え、クンドリは槍に寄り添うように横たわりました。
横たわったのはクンドリだけではありません。グルネマンツ以外の全ての騎士が横たわり、安らかな死を迎えたようでした。
アンフォルタスの死の場面は衝撃的でしたが、ヴェントリスが穏やかに一人立ち尽くす姿は、苦しみを引き継いだ者が持つ悲哀に満ちていました。
最後はパルジファルが去り、一人グルネマンツが残されて幕となります。
憂い、癒しといった空気に包まれているように思えたのは、音響云々を超えて、音楽の力があったことは言うまでもないでしょう。

カーテンコールはブラヴォーが飛び交っていました。


死こそ癒し、といった終わり方でありましたが、
[猫]はあと半世紀はそういった癒しは必要ではないな
寿命は目指せ元気に一世紀!

なお、花の乙女たちにTomoko Makuuchi と日本の方の名前がありました。
海外で日本の方の活躍を発見するのは嬉しいことです。

あと一つ、珍しいと思ったことがあるので書いておきます。
開演してしばらくしたとき、後方が明るくなったので振り向くと、指揮者が映し出されたモニターがありました。
歌手のためのサイドモニターが観客席両サイド後方にあるのは初めてです。
時々チラチラするので少々気になりました。


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