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ガラコンサートFarinelli & Friends・・Grosses Festspielhaus・・2019/6/8 [コンサート・リサイタル]

 この日はダブルビル。ポリフェーモ終了後夕食を済ませて祝祭大劇場へ。
 ところでダブルビルはこの日を含めて3連荘。トリプルダブルビルあるネ。
 
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カーテンコールではバルトリが全員を集めて自撮り記念撮影
Gianluca Capuano Conductor
Rolando Villazón Presentation
Julie Fuchs Soprano
Patricia Petibon Soprano
Sandrine Piau Soprano
Nuria Rial Soprano
Cecilia Bartoli Mezzo-soprano
Lea Desandre Mezzo-soprano
Vivica Genaux Mezzo-soprano
Ann Hallenberg Mezzo-soprano
Christophe Dumaux Countertenor
Philippe Jaroussky Countertenor
Bachchor Salzburg
Markus Obereder Chorus Master
Les Musiciens du Prince — Monaco

PROGRAMME
GEORGE FRIDERIC HANDEL
Chorus “Questo è il cielo di contenti” from the dramma per musica Alcina, HWV 34
Aria of Melissa “Desterò dall’empia Dite” from the opera seria Amadigi di Gaula, HWV 11
Aria of Bellezza “Tu del Ciel ministro eletto” from the oratorio Il trionfo del Tempo e del Disinganno, HWV 46a
NICOLA PORPORA
Aria of Lottario “So che tiranno io sono” from the dramma per musica Carlo il Calvo
GEORGE FRIDERIC HANDEL
Aria of Aci “Verso già l’alma col sangue” from the serenata Aci, Galatea e Polifemo, HWV 72
GIUSEPPE MARIA ORLANDINI
Aria “Destrier che all’armi usati”
GEORGE FRIDERIC HANDEL
Duet Cornelia and Sesto “Son nata a lagrimar” from the dramma per musica Giulio Cesare in Egitto, HWV 17
JEAN PHILIPPE RAMEAU
Scene of La Folie from the ballet-buffon Platée
LEONARDO LEO
Aria of Arbace “Cervo in bosco” from the tragedia per musica Catone in Utica
JEAN PHILIPPE RAMEAU
Aria of Télaïre “Tristes apprêts, pâles flambeaux” from the tragédie en musique Castor et Pollux
RICCARDO BROSCHI
Aria of Dario “Qual guerriero in campo armato” from the dramma per musica Idaspe
GEORGE FRIDERIC HANDEL
Duet Almirena and Rinaldo “Scherzano sul tuo volto” from the opera seria Rinaldo, HWV 7a
NICOLA PORPORA
Duet Sifare and Semandra “La gioia ch’io sento” from the dramma per musica Mitridate
GEORGE FRIDERIC HANDEL
Aria of Cleopatra “Piangerò la sorte mia” from the dramma per musica Giulio Cesare in Egitto, HWV 17
TOMASO ALBINONI
Aria “Dopo i nembi e le procelle” from L’Eraclea
JOHANN ADOLF HASSE
Scene of Berenice “Berenice, che fai?” from the opera seria Antigono
NICOLA PORPORA
Aria of Mirteo “Bel piacer saria d’un core” from the dramma per musica Semiramide riconosciuta
GEORGE FRIDERIC HANDEL
Duet Ginevra and Ariodante “Bramo aver mille vite” from the dramma per musica Ariodante, HWV 33
Aria of Cleopatra “Se pietà di me non senti” from the dramma per musica Giulio Cesare in Egitto, HWV 17
JOHANN ADOLF HASSE
Aria of Siroe “Parto con l’alma in pene” from the opera seria Siroe
GEORGE FRIDERIC HANDEL
Aria of Polinesso “Dover, giustizia, amor” from the dramma per musica Ariodante, HWV 33
RICCARDO BROSCHI
Aria of Dario “Ombra fedele anch’io” from the dramma per musica Idaspe
GEORGE FRIDERIC HANDEL
Chorus “Sa trionfar ognor” from the dramma per musica Ariodante, HWV 33

 バルトリ、ハレンベリ、リアル以外はフランスの歌手が勢ぞろい。さすが古楽が盛んな国です。それにしても豪華メンバーが揃いましたが、特に聴けて嬉しかったのはハレンベリ、ジュノー、デサンドル。
 ハレンベリのおおらかで豊かな声を聴くのは久しぶり。今回はキレキレのアジリタもたっぷりと聴かせてくれて大満足。
 ジュノーは2010年にチェネレントラで聴いて以降しばらくアジリタを要する役で聴いてなかったので、今回は超絶技術を披露してくれるかと楽しみでした。これが以前聴いたロッシーニとは様式が異なる古楽ならではの高速アジリタで圧巻でした。
 そしてお初だったのがデサンドル。レジネヴァやアスプロモンテよりさらに若い1993年生まれのメゾソプラノ。声質はやや硬い印象ですが、正確な技術には若くしてこのガラに名を連ねるのも納得でした。

 デサンドル以外は全員聴いたことがある人達だったのですが、パッと見で分からなかったのがジャルスキーとフックス。ジャルスキーは口ひげをたくわえただけで随分と雰囲気が違って見えたし、フックスはご出産後に見るのは初めてで、姿も声も以前よりふっくらしたような?

 豪華キャストの歌合戦は前半だけでお腹一杯。休憩後には後でくるだろうと予想した通り、やってきました移動の疲れ。意識がトビ、トビ、ワシ、タカ、ハト、キジ、サル、イヌとくれば桃太郎。(以前にも使ったことがある意識とびまくりの表現ではありますが、桃太郎まで飛んだのは新記録)とにかくやたらめったら飛びまくったのでほとんど覚えてません。キッパリ。それでもあと1年は古楽を聴かなくてもよいくらいの満足感でした。

 尚、司会はヴィリャゾン。多言語で流暢に観客を楽しませてくれて司会としてもプロ。歌わなくても存分に活躍してました。

 
 

 
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ポリフェーモ・・・Felsenreitschule・・・2019/6/8 [オペラ]

 旅の目的の公演。
 午後3時開演に間に合うようにミラノから当日移動となると、飛行機のキャンセル、遅延、ミュンヘンーザルツブルク間の鉄道工事など、さまざまなリスクがあるので、前日の死の都は諦めようかと迷ったのですが、何もないことを願っての当日移動でした。
 これが心配した通りでミュンヘンーザルツブルク間工事。もうここまでくるとスカラの日程の変更云々だけではなく、いかに[猫]の普段の行いが悪いか、性格が悪いか、あるいは両方悪いかということ。ミュンヘンから2回乗り換えで普段の倍の時間を要しての移動で、しかも最後の列車は日本の通勤時なみの混雑で疲労困憊。
 これで公演に間に合わなかったら少しは同情されるだろうに、なんとか間に合ってしまったのが[猫]の行いの悪さも性格の悪さも中途半端。更には間に合ったのに何をブツブツ言ってるんだと思わないでもありません。
 でも若くないから、こういうの後でくるのヨ。<(_ _)>
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George Petrou Conductor
Max Emanuel Cencic Director

Yuriy Mynenko Aci
Julia Lezhneva Galatea
Max Emanuel Cencic Ulisse
Pavel Kudinov Polifemo
Sonja Runje Calipso
Dilyara Idrisova Nerea

Armonia Atenea

 バルトリが芸術監督を務める聖霊降臨祭のプログラムの一つですが、これはツェンチッチが所属するパルナッソス制作の公演です。聖霊降臨祭の今年のテーマが『ファリネッリとその友人たち』、そしてポルポラの『ポリフェーモ』は著名なカストラート、ファリネッリのために書かれた作品ということで上演の運びとなったのでしょう。

 それにしても間に合って幸いでした。行いの悪さも性格の悪さも中途半端で何より。なんといっても上演機会の少ないポルポラの作品、しかもユリアちゃんが出演とあって少しでも聞き逃したとなれば後悔しきりとなるところでした。
 ガラテア役のユリアちゃんの技巧を駆使しながらも情感溢れる歌声に、移動の疲れなど一瞬に吹き飛んでしまいました。そんなユリアちゃんが抜きんでていた感があったとはいえ、他の出演者もそれぞれ好演。久しぶりにディリアラちゃんを聴けたのも嬉しかったのですが、もう少し小さな劇場のほうが彼女には合っているかもしれません。
 光っていたのはレジネヴァの歌唱だけでなく、ツェンチッチの演出。背景に波の映像を映し出し、大海原に浮かぶ孤島が舞台。広い舞台全体からすると5分の1にも満たないほどのスペースしか使用してなかったのですが、これが視線を動かすことなく、スポットライトで浮かび上がった孤島に集中できて思いのほか効果的でした。冒頭で嵐の中鳴り響く雷鳴。雷といえばゼウス。つまりゼウスがウリッセをポリフェーモ退治のために神の世界に導いたと想像できる幕開け。その他にもあちこちになるほどと思わせるウィットとユーモアのセンスが垣間見れ、シンプルなセットを含めてツェンチッチのセンスの良さが窺えた演出でした。

 ポルポラはヘンデルやヴィヴァルディと同様、歌唱技術を堪能できるのですが、音楽そのものはより素朴な印象でした。演奏がその素朴さそのままに様式感を保っていたのが心地よく、歌手の歌声を彩っていたのも好感度大でした。

 なんだかんだあっても、この公演を鑑賞できたことで全て報われた気がしました。
 
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死の都・・・Teatro alla Scala・・2019/6/7 [オペラ]

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Direttore Alan Gilbert
Regia Graham Vick

Paul Klaus Florian Vogt
Marietta Asmik Grigorian
Frank/Fritz Markus Werba
Brigitta Cristina Damian
Juliette Marika Spadafino
Lucienne Daria Cherniy
Victorin Sergei Ababkin

 パウルに作曲家コルンゴルトの人生を重ねた演出と叙情性に満ちた演奏が、映画を鑑賞したような余韻を残した公演でした。
 ドイツのオケのようにキレのある音で、パウルの幻想と倒錯の世界を迫りくるような臨場感をもって表現しようとしても、ここはドイツの劇場のようにドライな環境ではありません。指揮のギルバートがスカラの音の魅力を活かし、有名なアリアをゆっくりと歌わせ、この作品が持つ叙情性を強調したことは納得できるものでした。もちろんパウルの幻想の場面では演奏に生温さを感じたのは否めないのですが、スカラの美しい音を聴いていると脳内では不思議と聴覚が視覚へ自動変換され、紗がかかった映像を見ているような感覚になってました。
 そんな紗がかかった映像から飛び出してきたようだったのがグリゴリアン。以前ザルツブルクのヴォツェックでマリーを歌ったときには非常に若々しい声だったことを思い出すと、今回は声に疲労感がなきにしもあらず。しかし、活き活きと動きまわりながら、なんら非の打ちどころなく歌う様は圧巻で、ここまで動きながら歌える人は男性だとエスポジトが思い浮かぶのですが、女性では他に思い当たりません。その様子はパウルの幻想を超えてパウルを苦しめているかのようでした。
 パウル役のフォークトのリリックな声は叙情性を強調した公演でも適役でした。ただハンブルクの一人芝居的演出のほうがポテンシャル全開だった気がしたのも事実。それはフォークト自身の問題というより、劇場や演出による臨場感の差から生じた感覚でした。
 舞台奥にはたっぷりとドレープの入った紗幕があり、幻想の場面ではそれが上がるとはいえ、奥行の広い舞台でドレープたっぷりの紗幕となれば臨場感は薄くならざるをえません。それでも臨場感が希薄だったことも叙情性を高めて映像を見ているような印象に繋がった要因で、それも映画音楽で成功した作曲家の人生を映像のように表現するという狙いだったのかもしれません。

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イドメネオ・・Teatro alla Scala・・・2019/6/6 [オペラ]

 ドホナーニの降板はベルリンのサロメに続き2回目。ご高齢とあって今後機会が訪れるだろうかと思うと残念ではありますが、ファソリスが代わって指揮を執るとあれば文句はありません。
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Direttore Diego Fasolis
Regia Matthias Hartmann

Idomeneo Bernard Richter
Idamante Michèle Losier
Arbace Giorgio Misseri
Ilia Julia Kleiter
Elettra Federica Lombardi
Gran Sacerdote Krešimir Špicer
Voce di Nettuno Emanuele Cordaro
Due Cretesi Silvia Spruzzola, Olivia Antoshkina
Due Troiani Massimiliano Di Fino, Marco Granata
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 演奏は劇的かつ流れが美しく、ノーストレス。
 日本でもお馴染みのリヒターがタイトルロール。熱演熱唱で役に没頭、大役を立派に勤めてました。
 イダマンテ役の人は素朴な少年という印象。
 個人的に今回最も印象的だったのがイリア役クライターとエレットラ役のロンバルディ。適材適所とよく言いますが、ここまでハマる人はそういないのではないかと思うほど。二人共演出などなくても、つまり目をつぶって聴いているだけで、それぞれの性格、どんな状況にあるかまで伝わる歌唱でした。
 クライターは繊細な表現で囚われの身の悲しみやイダマンテへの愛など複雑な心のひだを映し出し、品よく可憐なイリアを好演。
 ロンバルディはクールでまろやかな歌声ながらも、内なる炎のような執念と怒りがにじみでた歌唱は見事。圧巻だったのが最後のアリアで、脳裏に浮かんだのはヘルリツィウスが歌うエレクトラ。もちろんシュトラウスを歌う声質ではなく、姿もヘルリツィウスとは似たところなどないのですが、間違いなく同一人物、史上名高い烈女でした。カーテンコールでも最も称賛を受けていたように感じたのですが、イタリア人とあって言葉のニュアンスにも秀でていたのでしょう。

 演出はクレタをイメージするセット。正直あまりピンとこず。

 音楽面だけでも充分満足でした。
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トゥーランドット・・Teatro Comunale di Bologna・2019/6/5 [オペラ]

 6月の旅行は6泊9公演鑑賞というハードスケジュール。 
 どうして初日にボローニャ?しかもトゥーランドット?図らずもみることとなった演目であろうことは言うまでもありません。旅行中、この他にもいろいろと図らずも・・があったのですが、なんもかんもスカラの二転三転したスケジュールのおかげでございます。死の都の日程が発表当時は7日、11日、それなら10日ウィーンの後で11日ミラノで丁度良いと、飛行機を手配してしばらくすると、なんと死の都は6日、10日に変更。これにてウィーンーミラノの航空券はパー。仕方なく6日に観るとして5日のドホナーニ指揮のイドメネオも一緒に観ようと思っていたら、ドホナーニが降板。するとそれだけでは済まず、日程が6日イドメネオ、7日死の都に変わりおって、え~~~い畜生め~~~と下品な言葉を発してしまいそうだったのは、何を隠そう、旅行の最大の目的は8日のザルツブルク『ポリフェーモ』。開始時間が午後3時とあってミラノから移動はかなり厳しく、『死の都』は諦めなくてはいけないかもしれない状況に。でも結果的にはなんだかんだあっても無事両方見てきました。なんだかんだは追々。
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DIRETTORE Valerio Galli
IDEAZIONE E REGIA Fabio Cherstich

TURANDOT Ana Lucrecia Garcia
TIMUR Alessandro Abis
ALTOUM Bruno Lazzaretti
CALAF Antonello Palomb
LIU’ Francesca Sassu
PING Sergio Vitale
PONG Pietro Picone
PANG Orlando Polidor
UN MANDARINO Nicolò Cerian
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 前書きばかり長くなって公演の感想は興味のない演目なのでほとんど書けません。
 5日の公演を探したところ見つかったのがこの公演。ボローニャの劇場は初体験です。この公演はカールスルーエとの共同制作。グローバル化と言われて久しいですが、オペラの場合は劇場とオケが違うだけで印象は異なります、完全なグローバル化は不可能とも言えるので、どこの劇場も経営が厳しい中、共同制作によって公演数を増やすことができるなら良い手段と言えるでしょう。また、ビデオを多用した演出も決して悪いとは思いません。基本的に演出については許容範囲は広い方ですが・・・。
 ドイツの劇場との共同制作となれば演出は普通でないであろうことは予想してました。しかし、今回の全面ビデオの演出はシュールすぎて全くついていけず。嫌でも目にしてしまうコーラスの子供達が夜泣きしてしまうのではないかと心配してしまうほどの不気味さがありました。
 考えてみると物語そのものがシュールで残酷ということはあるのですが、それでもどこに目をやっても奇妙な映像から目をそらすことができず、参りました。
 音楽面については演奏は逞しく見事な鳴らしっぷり。歌手も悪くなく、地元の人達も音楽にはほぼ満足していたようでした。
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ジークフリート・・・Staatsoper Unter den Linden・・2019/9/11 [オペラ]

 ベルリンに戻ってジークフリート
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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Guy Cassiers
 
SIEGFRIED Andreas Schager
MIME Stephan Rügamer
DER WANDERER Michael Volle
ALBERICH Jochen Schmeckenbecher
FAFNER Falk Struckmann
ERDA Anna Larsson
BRÜNNHILDE Iréne Theorin
DER WALDVOGEL Serena Sáenz

 前日優しいワーグナーを聴いたせいか、この日は前2作よりもオケが鳴らしているように感じてしまいました。それも始まる前にアナウンスあり、フォレとリューガマーが調子悪いが歌うとのこと。確かに前2作ほど声に力はなかったようにも思え、声とのバランスという点で演奏が鳴らしていたように感じたのかもしれません。それでも前日の公演の後では何ら不足に思うはずもなく、感想も凄く良かったの一言で済んでしまいそうですが、気づいたことを書き残しておきます。
 シャーガーが進歩し続けているのは既に他の演目で実感してますが、このジークフリートでも明らかでした。初めてシラーでシャーガーのジークフリートを聴いたときは一本調子気味で、誰に何を言われようが3歩歩いたら忘れちゃう、いや3歩歩かなくても3小節歌えば忘れちゃうタイプなんて感想に書いてました。今回は5歩、いや5小節くらいかな?それ以上だと逆にジークフリート感が薄れてしまうので。一本調子といった感も全くなし。根本的にシラーはシャーガーには小さすぎだったかもしれません。1幕で快速でたたみかけるように歌うジークフリートに対し、たじたじのミーメ。絶妙なテンポの変化で演奏が二人の関係を裏打ちしながら、物語へ観客をぐいぐいと引き込んでいきました。
 ファフナー、フンディング、ハーゲンと3役歌うので全ての公演にご出演のシュトルックマン。この日のファスナーの死の前の歌い方には憐憫の情を抱かざるを得す。
 フォレは調子悪いとはいえ、枯れていく姿には合って言うことなし。
 ワルキューレでは純粋な少女で意外性をみせてくれたテオリンは寝ている間にしっかりと成長。ヴィヴラートの強い歌い方で以前から知っているテオリンでした。もちろんなんら不足はありません。
 
 最後の神々の黄昏は観ることなくこの遠征は終了。
 ただ3公演を通して全て大満足というには少々気になったことがあったのも事実。それはオケが不安定な音を出したり、緩んだように感じることが以前に比べると増えた気がしたこと。単なる気のせい、あるいはたまたまということだったらよいのですが、思い出したのは6月にバレンボイム先生が契約を更新した際、ハラスメント疑惑を受けて契約延長の条件に職場環境改善の誓約があったこと。オケのメンバーの居心地はよくなった一方で、観客のストレスは増えたなんてことになったらプロとしていかがなものか。それ以前からバレンボイム先生自身が忙しくなりすぎてSKBと仕事する機会がそもそも減っているということもあるかもしれませんが、ハラスメント疑惑はオケに対してもおのずと厳しい目を向けることになってしまいました。
 臨席の人に一般の人達はハラスメント疑惑についてどう思っているのか尋ねたところ、昔から年配の人は弟子に対しては厳しく接するもの。だからほとんどの人はそれほど重く受け止めていないと思うとのこと。マイスターの国らしいと思ったのですが、[猫]が、そういった問題よりも貢献度のほうがはるかに大きいということもあるでしょうねと言ったら大きく頷いてました。

 だからといって、ハラスメントと感じてしまう状況まで追い込まれることはあってはならないのはもちろんです。ということで以下、最近のパワハラ問題についていろいろと思うことを書きます。

 対策を指導者側に求めるだけで充分なのかという疑問は払拭できません。ハラスメントは受けた側はそう感じても、加えたとされる側はそういった意識はないということがほとんどです。そもそも同じ組織内では相談することが難しいからハラスメントと感じるまでに追い込まれてしまうのですから、その溝を埋めるには劇場とは無関係の組織がメンタル面のアンケートを定期的に行うなど、大事に至る前の早期発見と対応に当たるよう対策を講じないとなかなか防げない問題のように思えてなりません。ドイツは多くの音楽団体が存在するのですから、それらを全部引き受ける組織があってもよさそうです。ただ、どんな職業でもストレスのない仕事などないでしょう。必要以上に指導する側が気を使わなくてはいけない状況になって、質が低下するなどということも勘弁願いたいのです。
 パワハラにしろセクハラにしろ、受け止る側の問題となると言い出したらきりがないといった面があり、そのうち厳しい緊張感は皆無、みんな仲良くが第一、当たり障りのない音楽ばかり聴くハメになりそうです。否、そうなったらもう聴かないということになるかもしれません。
 

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ラインの黄金・・Finnish National Opera ・・2019/9/10 [オペラ]

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 快晴のヘルシンキ

 サロネンの初リングとあって観ることにしたものの、ベルリンリングの間というのはいかがなものか。この公演はフィンランド人によるフィンランド人のためのリングなので、ドイツ語圏のリングとは異なると予想しなくてはいけません。ドイツ語圏以外の国となると伴奏のような演奏にイタリアオペラ風の歌。それでも期待値を下げて臨めば予想より良かったと思えるかもしれませんが、直近で本場のワーグナーを聴いてしまうと期待値を下げようにもそうは上手く対応できず。これを見てからベルリンへ行ったほうがよいのは分かっていても日本を離れるのはなるべく短期間にしたいという思惑もあり。しかし、予想しながらその通りだったら自己嫌悪に陥りそうと思いながら臨みました。
CONDUCTOR Esa-Pekka Salonen
DIRECTOR Anna Kelo

WOTAN Tommi Hakala
FRICKA Lilli Paasikivi
LOGE Tuomas Katajala
FREIA Reetta Haavisto
DONNER Tuomas Pursio
FROH Markus Nykänen
ALBERICH Jukka Rasilainen
MIME Dan Karlström
FAFNER Jyrki Korhonen
FASOLT Koit Soasepp
ERDA Sari Nordqvist
WOGLINDE Marjukka Tepponen
WELLGUNDE Mari Palo
FLOSSHILDE Jeni Packalen
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 結果予想通り。[猫]は自ら罠に飛び込んだアンポンタンだということで、以下自粛・・・としたほうが良さそうな気もするのですが、アンポンタンが何を書こうがどうということはないので書いておきます。
 鑑賞しながらここはドイツじゃないからと何回も念じてしまいました。なにせラインの黄金から神々の黄昏どころか神々ほぼ全滅。どういうことかというとワーグナー歌いとは言い難かったということ。歌い方や役作りといった面でドイツでも通用するワーグナー歌いはアルベリヒとミーメくらい。あとは演技のなかった巨人とエルダがいけるかもしれないという程度。後でキャストを確認したところ、アルベリヒはベテランのラジライネン、ミーメ役の人もライプツィヒで活躍する人と分かりました。[猫]のようなド素人アンポンタンでも分かるくらい違ったということです。これでは演奏は歌いやすいように伴奏のようにならざるをえないというところ。ニーベルハイムの場面からはワーグナーらしい躍動感が出てきたのですが、それも充分とはいえず。最後の演奏もティンパニーが浮き上がることなく、立体感や厚みに乏しい演奏に終始した感がありました。
 オケは決して下手ではなく、耳に心地よい演奏で、冒頭部分は凄く良かったし、序盤それほど鳴らしてなかったので巨人族登場場面はハグリッド並みの巨人は想像できたので[猫]の拘りはかろうじてクリアしてました。
 それでもベルリンに帰ってから臨席のドイツ人に演奏は綺麗だったけど物語を語らないし、歌はイタリアオペラみたいだったとグチってしまったところ、ワーグナーを歌うのはものすごく難しいんだよと諭されてしまいました。結局、[猫]は本場のワーグナーばかり聴いて耳が肥えすぎ、つまりメタボ耳のアンポンタンと自覚するに至りました。
 演出は照明を上手く使っていたので良く言えばファンタジック。ただ神々の衣装と演技が見事なまでに不自然。初演なのだから演出家が演技指導するのが普通だと思うのですが、ツメが甘すぎてコメディかとツッコミを入れたくなるような場面もあり、ほとんど学芸会でした。
 
 それでもフィンランドの人達にとっては待望のフィンランド人によるリングということなのでしょう。カーテンコールは称賛に溢れてました。
 

 最も違和感があったのは某サイトで目にした評論。この公演に最高の5つ星がついていたのはいくらなんでもトンチンカン。(これもアンポンタンからトンチンカン呼ばわりされても、あるいはその逆でもどうということはないでしょう。)一方同サイトで今回のベルリンリングはR3、W5、S4、G4。ちなみに2018年のゼンパーリングはR3,W3,S4,G3,2015年のバイエルンリングがR3,W5、S3,G4。つまりバレンボイム、ティーレマン、ペトレンコのラインの黄金は仲良く★3つしかもらえてないということ。もちろん筆者が違うので単純に比較はできません。おそらくドイツのリングは生粋のワグネリアンの評価で、ヘルシンキはワーグナーに興味のないサロネン信奉者でしょう。これが全くの素人が書いた感想だったらそれでも違和感を持つことはないのですが、評論家や音楽関係者だとしたら。。。[猫]もサロネンは今まで良い印象しかなかったのでこの公演に来たのですが、最高の星5つをつけてしまうほどのサロネン信奉者にはドン引きであります。ワルキューレまで購入してしまって憂鬱になっている[猫]ですが、次回はストップオーバーで最初に鑑賞するし、他にワーグナーは聴かないので期待値を下げて臨めば今回よりは楽しめるかもしれません。

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ブーレーズ アンサンブルXX・・Pierre Boulez Saal・・2019/9/9 [コンサート・リサイタル]

BOULEZ ENSEMBLE
DANIEL BARENBOIM Conductor, Piano
RADEK BABORÁK French Horn
DENIS KOZHUKHIN Piano
KARIM SAID Piano
MICHAEL WENDEBERG Piano
ALINE KHOURI Harp
SUSANNE KABALAN Harp
STEPHEN FITZPATRICK Harp
LEV LOFTUS Percussion
DOMINIC OELZE Percussion
PEDRO TORREJÓN Percussion

PROGRAM
LUDWIG VAN BEETHOVEN Sonata for Horn and Piano in F major Op. 17
BÉLA BARTÓK Sonata for two Pianos and Percussion Sz 110
PIERRE BOULEZ sur Incises

 この日はブーレーズザールのシーズン開幕公演。2017年にバレンボイム・サィードアカデミーの付属コンサート・ホールとしてオープンしたホールですが、今回初めて足を運びました。
 チケットを購入時、舞台のそばと2階席が残っていたのですが、音のバランスを考えて2階席を選択。楕円形のホールの2階席は緩く波打っているので席は水平でも床は若干の傾斜があり、向かい側の波打っている2階席を見ていると平衡感覚がおかしくなりそうな気がしましたが、公演が始まるとすぐに気にならなくなりました。

 ベートーベンはバレンボイムのピアノにバボラークのホルン、バルトークはピアノ2名とパーカッション2名、休憩後のブーレーズはバレンボイム指揮、ピアノ3名、ハープ3名、パーカッション3名、舞台からみると全方向に客席があるのでピアノは蓋(屋根)無しでの演奏でした。

 歌劇ばかりでコンサートへはあまり足を運ばない[猫]が興味深かったのはパーカッションの多彩さ。上から覗き込むように見ていると複数の楽器を多種多様なスティックで演奏するのが見事。聴覚だけでなく視覚的にも面白く楽しめて2階席にして正解でした。
 初めて接したブーレーズの曲は現代音楽らしく耳に残るようなフレーズはありませんが、透明感のある音が次々と生まれ絡み合うさまは活き活きとして、爽やかな音の洪水といった印象。飽きることなく浸って時を過ごすことができました。
 
 
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ワルキューレ・・・Staatsoper Unter den Linden・・2019/9/8 [オペラ]

 スカラで聴いたときの感想を見てみると、→こち
 アンコールで最初からまた観たい、とか、[黒ハート][黒ハート]とか・・・こんな浮かれた感想ありえへんでリンデンでは。
 もちろんスカラで感動した事実になんら変わりはないのですが、オケと劇場が異なるだけで全く印象は異なります。SKBの音ははるかに緊張感が高く濃密、そして歌手の人達の渾身のパフォーマンスに軽々にアンコールなどと言えたものではなく(それでも第2チクルスが始まった今、行ける人が羨ましいと思ってる[猫])浮かび上がったのは愛だけではなく葛藤。観終わった後の満足感には荒波にもまれたような疲労感が伴ったのでした。
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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Guy Cassiers

SIEGMUND Simon O'Neill
SIEGLINDE Anja Kampe
HUNDING Falk Struckmann
WOTAN Michael Volle
BRÜNNHILDE Iréne Theorin
FRICKA Ekaterina Gubanova
GERHILDE Christiane Kohl
HELMWIGE Vida Miknevičiūtė
WALTRAUTE Anja Schlosser
SCHWERTLEITE Natalia Skrycka
ORTLINDE Anna Samuil
SIEGRUNE Julia Rutigliano
GRIMGERDE Anna Lapkovskaja
ROSSWEISSE Dshamilja Kaiser

 この日もオケと歌手は阿吽の呼吸。これ以上のワルキューレに今後立ち会えることはあるだろうかと疑問に思うほどの公演でした。
 まず気が付いたのはオニールが着実に進歩していたこと。スカラ初演時のリハの映像で結構厳しくバレンボイム先生から指導を受け、相手役のマイヤーさまからもアドバイスをもらっていた記憶がよみがえりましたが、今のオニールはなんら不安なく阿吽の呼吸に溶け込み、発音についても臨席のドイツの人に確認したところ問題なしとのことでした。2010年の初演以来、カシアス演出のリングでずっとバレンボイム先生の元で歌ってきたという実績に裏打ちされた自信と力を舞台上で遺憾なく発揮していたというところ。
 カンペのジークリンデはスカラでのマイヤーさまになんら遜色なし。特に3幕の愛の救済の動機は絶品。その歌声は正に絶望の中に見つけた一筋の光でした。
 フォレは品格と威厳を保ちながらも苦渋に満ちたヴォータンでブリュンヒルデへの愛情をも含めて、これ以上は望むべくもないという存在感。ハーゲンの死の場面や3幕でブリュンヒルデに対して強く激しい口調で言い放つように歌ったのが信憑性ありすぎのなりきり度でした。
 予想以上に良かったのがテオリン。弱音でこれほど繊細に心の機微を伝えることができる人だったとは。大柄であるにもかかわらず、ヴォータンの前では純粋な少女であり、登場時のHojotoho! Hojotoho!・・・は荒々しかったのですが、それも無垢で未熟な少女らしさに思えてしまいました。
 シュトルックマンは前日の強欲なファフナーから冷血なフンディングに変身。
 グバノヴァのフリッカは美しいドレス姿がものすごくかわいいにもかかわらず、ヴォータンをやりこめる歌は説得力充分で恐れ入りました。

 フリッカ以外の衣装についても美しいというのを改めて実感。神々であるワルキューレ達のドレス姿にも人間仕様の兜や鎧が必要なわけもなし。

 演奏は前日もこの日もやや速めという印象。オケは傷がないわけではありませんでしたが、そんなことは些細な事で物語に没頭させてくれました。気が付いたのはワルキューレの騎行をスカラのほうが一拍目を強調して重く演奏していたこと。全体的にみればスカラの方がずっと軽いのであえて重くしたのか、いずれにせよリンデンでは重く演奏する必要はないのは確かです。

 それにしても物語の内容は知っているくせに、どうしてグッと胸に迫ってきたり、ウルッとしてしまうのか、信憑性の高い歌と音楽の力は凄いと改めて思った公演でもありました。
 

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ラインの黄金・・・Staatsoper Unter den Linden・・2019/9/7 [オペラ]

 6月に6泊9公演鑑賞という遠征をしたのですが、それを放置して9月の遠征を先にあげます。
 カシアス演出のリングは前半2作をスカラで、後半2作をシラーで鑑賞したので最初は観る予定ではありませんでした。ところが今シーズンのプログラムが全部発表されるとオランダ人以外他にワーグナーはなし。それではやはり行かなくてはいけないと思い改め、売り切れだったチケットも1か月前くらいに出てきたのを幸いと行ってきました。ただしそれほど長く日本を離れることはできないのでジークフリートまでしか見れなかったのは残念至極。
MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Guy Cassiers

WOTAN Michael Volle
DONNER Roman Trekel
FROH Simon O'Neill
LOGE Stephan Rügamer
FRICKA Ekaterina Gubanova
FREIA Anna Samuil
ERDA Anna Larsson
ALBERICH Jochen Schmeckenbecher
MIME Wolfgang Ablinger-Sperrhacke
FASOLT Matti Salminen
FAFNER Falk Struckmann
WOGLINDE Evelin Novak
WELLGUNDE Natalia Skrycka
FLOSSHILDE Anna Lapkovskaja

 スカラで聴いたときよりもぐっと劇的信憑性が高く濃密。それを可能にしたのは密度が高くキレのある音を持つSKBの演奏と、生粋のワーグナー歌い達の阿吽の呼吸でした。
 バレンボイムが導く演奏はテンポの変化、抑揚が寄せては返す波のように淀みなく観客を物語にいざない、深い音は時に効果音のように緊張感を高め、場面ごとの楽器のバランスも絶妙で観客の心をつかんで離しませんでした。[猫]の拘りである巨人族の登場場面は今まで聴いたことがないほど重量感のある演奏で脳内に巨大な巨人が出現。クリア基準であるハグリッドどころか進撃の巨人かと笑ってしまいそうでした。
 その巨人族はサルミネンとシュトルックマン。この二人がそれぞれの性格を何気なく滲ませていたのが劇的信憑性を高めた要因の一つ。オリジナルではサルミネンではなく他の人だったはずなのですが、いつのまにかサルミネンに変わっていて今回も助っ人としての活躍。今回は今まで聴いたなかでは最も力のある声で、なおかつどこか哀愁のある暖かさを内包した歌い方がフライアを失う悲しみに通じて好演。一方のシュトルックマンはサルミネンと並ぶと小柄に見えて、兄貴の影に隠れて虚勢を張っているような印象だったのが、財宝を受け取る場面で強欲な本性を発揮。歌い方もさることながら、隙間なく財宝が積まれているか這いつくばって見るという演技が上手すぎ。足元は水たまりもあるデコボコなので決して自由に動き回れる環境ではなく、スカラの初演時にはそのような演技は要求されてなかったのに、思わずそう動いてしまったかのようだったのはさすがベテランのワーグナー歌い。
 波のように寄せては引く演奏が緊張の頂点に導いたのはアルベリヒの呪いの歌。バレンボイムはいつものように歌手が役に没頭して歌えるよう配慮をかかさず、シュメッケンベッヒャーは間を置いてのmeinem Fluch fliehest du nicht! 見事な歌いっぷりで物語のキーパーソンの役割を果たしてました。
 リューガマーの最大の魅力はさりげなさ。つまり頑張って歌っているというところは一切なく、常に自然体でその役で存在していると思わせてしまうところ。知的な声の持ち主ながらトボケているかのような印象を与えたかと思えば、厚いオケを超えて力強く声を響かせることもできる。歌も演技も柔軟な表現力の持ち主と言えるかもしれません。時々ダンサーと同調して何気なく動くのがダンサー達はローゲの意のままに動く精霊のように見えてきて、スカラでは気が付かなかった発見でした。幕切れで降りてくる幕を一旦止め、何を思ったのか?神々の運命を予感しているのか?このニュアンスある演出とティンパニの音が浮かび上がる演奏がなんとも言えない余韻を残しました。
 グバノヴァは怪我でバイロイトをキャンセルしたと聞いていたので心配してましたが、出演してくれて一安心。チーム・バレンボイムの一員として頼もしい存在なのは相変わらず。
 最後になってしまいましたが、なんといってもヴォータンのフォレの存在は圧倒的。品格がありながら指輪に未練をもってしまう微妙な心情。言うことなし。以前はパーペが歌っていましたが、元々さすらい人は音域が合わないということで歌わなかったので、フォレがチーム・バレンボイムに加わってくれたのは嬉しいことです。ここ数年この劇場で歌うことの多いフォレとあって、この後のチェルニアコフ演出のリングでもご出演を期待してしまいます。とはいえ、パーペのヴォータンをもう一度聴きたい気もするのですが、もしかするともう歌わないでしょうか?

 カーテンコールで最も称賛を受けたのがフォレ。次がサルミネン、シュメッケンベッヒャー、リューガマーの3人だったのは順当に思えました。もちろんバレンボイム&SKBにもいつものように最大級の称賛でした。
 
 演出は2010年のスカラ初演ではダンサーが鬱陶しく感じる場面もあったのですが、その後ダンスを交えた演出も増えたせいか、今回はそう感じることはありませんでした。いずれにせよスカラもベルリンも予算が充分になかった時代で、なおかつ保守的なイタリアの聴衆を考えれば、イメージを壊すようなものでないだけで充分。それに充実した音楽にはどんな演出でも問題なしと思えたのでした。

 

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修道院での結婚・・Staatsoper Unter den Linden・・2019/4/13 [オペラ]

 ベルリンのフェスト、先に書いた『マイスタージンガー』の前日に観た公演です。
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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG, BÜHNENBILD Dmitri Tcherniakov

DON JEROME Stephan Rügamer
DON FERDINAND Andrey Zhilikhovsky
LUISA Aida Garifullina
DIE DUENNA Violeta Urmana
DON ANTONIO Bogdan Volkov
CLARA D'ALMANZA Anna Goryachova
MENDOZA Goran Jurić
DON CARLOS Lauri Vasar
MODERATOR Maxim Paster

 チェルニアコフとあって読み替えでないわけはありません。設定が舞台奥の壁に映し出され、字幕も同じく舞台奥の壁に表示されたのは視線をそれほど動かさずにすむので良いアイデアに思えたのですが、サイドの後方席の観客には死角になってしまったかもしれません。でも設定や字幕が見えてなくても楽しめるであろう演出で、とはいえ、見えていても理解できない部分もある演出でした。その辺はチェルニアコフなので推して知るべしというところ。それに演出がどうあれ結果的に楽しめたのは何といってもプロコフィエフの音楽の魅力によるところが大きく、どこか浮遊感を伴った粋な音楽を聴いているとコメディなんだから理詰めでみることはないと割り切れてしまいました。

 人生をオペラに捧げてしまったようなオペラ好き達が集合し、新作オペラを制作するということで始まったのは、実はオペラ依存症を治すためのライフセミナー。さまざまな受講内容に嫌気がさした受講者はやがてインストラクターに逆襲、そしてコンセプトは最後にド派手に用意してあり、大団円でした。
 舞台セットは改修前の客席を無造作に並べただけ。最後の場面のコーラスのド派手な衣装も素材はそれほど高価には見えず、制作費用を抑えることが条件だったかと推測してしまうほど。セットがシンプルな分、映像や小道具が活躍してましたが、それ以上に大活躍だったのが歌手の人達。歌になんら不足なく、喜劇役者のようによく動いて楽しませてくれて、初演初日だというのにチームワークも万全でした。
 しかし、さすがにウルマーナには演技は多くを要求しておらず、ベテランの余裕で万全の歌いっぷり。それでも役は元トップ歌手という絶妙な設定で、映像を使ってしっかりと笑どころを押さえていたのはチェルニアコフに抜かりなしというところ。
 主役のリューガマーはいつもどんな役でも器用に自然体で歌ってしまう人ですが、今回はさらにミニトランペット(コルネット?)や並べたグラスを演奏したりと、ここまで器用だとは知りませんでした。

 カーテンコールでチェルニアコフが登場するとお約束のようにブーとブラヴォーとのせめぎあい。それでも若干ブラヴォーの勝ち。ブラヴォー派は最後にド派手に演出されていたコンセプトが気に入ったのかもしれません。[猫]もどちらかというとブラヴォー派です。
 
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セルセ・・Teatro Municipale di Piacenza・・2019/4/12 [オペラ]

 4月の旅行はベルリンのフェストが主目的ながら古楽で良いのがあったら一緒にと思い、気になったのはウィーンのオルランドとこのセルセ。ピアチェンツァが交通の便が良くないところだったらウィーンにしたのですが、ミラノからそう遠くないので初めて行ってみることにしました。
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Direttore Ottavio Dantone
Regia Gabriele Vacis

Serse ARIANNA VENDITTELLI
Arsamene MARINA DE LISO
Amastre DELPHINE GALOU
Romilda MONICA PICCININI
Atalanta FRANCESCA ASPROMONTE
Ariodate LUIGI DE DONATO
Elviro BIAGIO PIZZUTI
Orchestra Accademia Bizantina

 いろんな意味で新鮮かつ意欲的で好感度の高い公演でした。

 ヘンデルの『セルセ』は何回か鑑賞したことがありますが、CTがキャスティングされてない公演は初めて。それに演出上、アタランタの役柄にコミカルあるいはヒステリックな面を強調するような公演が多かったのですが、今回はオリジナル通りお茶目な策略家といった面はあっても特に強調することはなく、演奏は古典的で所謂インテンポ。こういったことが均質な流れの美しさを浮かび上がらせた公演でした。
 CTが異質というと適切ではないかもしれませんが、やはり発声や表現など女性歌手とは異なります。この公演に接して、CTをオペラの公演に起用することを好まない指揮者がいるのも理解できるような気がしました。だからといってCTを否定するわけではもちろんありません。異質というのは言い換えれば個性的。だから良いという面があり、それになんといっても男性が男性の役をやるのですから視覚的信憑性に揺らぎは皆無です。

 音楽が古典的であったのに対し、演出は古典と現代アートのコラボ。登場人物はクラシックな装いで舞台前方で演技する一方で、舞台後方ではTシャツ姿の何人かがゆっくりと抽象的な動きで表現。あいにく購入時に既にほとんどの席が売れていたため、手に入ったのは上方サイドの席。そのためどうしても舞台前方で歌っている歌手に視線がいってしまい、後方は常に見れる状況ではなかったのですが、それでも言わんとしていることは何であるか理解できた気がしてます。後方のTシャツ姿の人達は明らかに現代人の代表で、最初前方の登場人物との間には透明な幕があり、互いに気にしながらも交じり合うことはなかったのが、やがて透明な幕はなくなり、互いに寄り添う場面が出てきます。その有様は古典とはただ聴いて観ているだけのものなのか、もっと積極的に関われるのではないか、古典が現代で生き続けるとはどういうことなのか、そういったことを舞台上で問い、表現しているようでした。最後も今時珍しくオリジナルどおりでしたが、それも単に保守的ということではなく、寛容であることこそが現代に求められていることであり、実りある豊かな世界へと繋がるというメッセージが意図をもって表現されていた演出でした。とはいえ、これはあくまで個人的な解釈であって、抽象的な表現も多い演出は観る人それぞれに想起するものが異なり、解釈もさまざまだったかもしれません。
 また、健常者でないように見受けられた人も後方の演者の中にいたのですが、社会の一員として舞台にいることは自然で、役割を果たしてました。こういった面でも好感が持てた演出でした。

 均質な流れの美しさと書いた通り、歌手の人達は誰が浮いているわけでもなく、沈んでいるわけでもなく全員好演。中でも最もアジリタ三昧だったのはガルー。声自体は地味な印象ですが、ご主人の指揮、オケもご主人が率いるアカデミア・ヴィザンチナとあって水を得た魚だったことは言わずもがな。アスプロモンテが出演していたこともこの公演に足を運んだ理由のひとつですが、今回も歌、演技共に自然体でチャーミングでした。
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怒れるオルランド(コンサート形式)・・Theater an der Wien・・・2019/3/26 [オペラ]

 3月の旅行、最後はユリアちゃんが出演するヴィヴァルディの作品でした。
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Musikalische Leitung: George Petrou

Orlando: Max Emanuel Cencic
Alcina: Ruxandra Donose
Bradamante: Anna Starushkevych
Ruggiero: David DQ Lee
Angelica: Julia Lezhneva
Medoro: Philipp Mathmann
Astolfo: Pavel Kudinov

Orchester: Armonia Atenea
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 この劇場ではコンサート形式の上演に字幕はなし。プログラムを見ながら鑑賞する人も多いのですが、[猫]は目が悪いので無理。それに古楽、特にヴィヴァルディやヘンデルなどは内容が分からなくても技術を堪能する歌の饗宴こそが最大の楽しみなので字幕なしでも全く気にしません。
 演出付きの公演は予定されていないこともあってか舞台には譜面台が並べてあり、ほとんどの歌手の人達は譜面を見ながら歌ってましたが、ルッジェーロ役のリーは譜面を見ることなく演技も伴って歌ってました。
 お目当てのユリアちゃんは相変わらず豊潤な声と多彩な技術で観客を魅了。ユリアちゃんで始まり、ユリアちゃんで終わった3月の遠征ですが、今はロッシーニよりも古楽のほうが魅力をより堪能できる気がしました。
 ドノーセを聴くのは初めてでしたが、貫禄の歌いっぷりといったところ。最近はクンドリ、フリッカなどワーグナーも歌っているようですが、古楽でもまだ存在感は充分でした。
 他の歌手の人達もそれぞれ個性が際立つ歌いっぷり。何より重唱で美しく調和するさまは極上。
 意外だったのはいつも派手な衣装のツェンチッチが全身黒というシックな装いだったこと。趣味が変わったのかと思いきや、なんのなんの最後はしっかりとド派手に変身。見た目でも観客を楽しませることに怠りはありません。
 以前はばらつきが気になったこともあったペトロウ&アルモニア・アテネアの演奏も今回は頼もしく、充実した公演でした。
 
 これにて3月の遠征の感想がようやく終了。4月に3公演鑑賞しましたが、ベルリンの『マイスタージンガー』は既にアップ済み。他の2公演はピアチェンツァの『セルセ』とベルリンの『修道院での結婚』。6月には9公演もみたのですが、書けるのはいつになるやら?
 
 
 

 
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売られた花嫁・・・Semperoper Dresden・・2019/3/25 [オペラ]

 今夏はどこにも行かずにお籠り。その間にこれを含めて13公演も感想を書かずに放置してあるのを少しでも処分したい気はしていたのですが、全て終わる前にまた行ってしまいそうです。

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Musikalische Leitung Tomáš Netopil
Inszenierung Mariame Clément

Marie Hrachuhí Bassénz
Hans Richard Samek
Kezal Tijl Faveyts
Wenzel Benjamin Bruns
Kruschina Matthias Henneberg
Ludmila Sabine Brohm
Micha Tilmann Rönnebeck
Hata Michal Doron
Esmeralda Tahnee Niboro
Indianer Chao Deng
Ein Zirkusdirektor Barry Coleman
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 ネトピルのチェコものは以前から機会があればと思いながらも、なかなか機会が訪れず時が過ぎてました。今回は良い機会だと早々にチケットを購入したのですが・・・・

 ドイツ語で上演されることも多いこの作品、今回もドイツ語でした。
 素朴な演出、演奏はノーストレスで序曲はワクワク。ただ歌手が歌うようになるとオケが控え目に。もっと鳴らしてもよいくらいと思えましたが、ハンス役の人がこの日一日だけキャスティングとあって、歌いやすさ重視だったかもしれません。
 歌手は男性陣は文句なし。女性陣は今一つ。
 中でもやはり頭ひとつ抜きんでていたのはワーグナーからロッシーニまで何でもこなしてしまうブルンス。
 ケツェル役の人も深みのある声で背が高く、曲者といった雰囲気で好演。
 ハンス役はこの日以外はブレスリクだったのですが、何故かこの日だけはチェコのテノール、サメクがキャスティグ。ブレスリクに似たタイプの人でした。一日だけの出演ということもあってか安定感というところではブレスリクに一歩及ばない感はあるものの、そつはなし。

 決して悪い公演ではありませんでしたが、スメタナのこの作品はどちらかというとイタオペ風コメディ。頻繁ではないにせよアリアの後拍手というもので、なんとも好みとは言い難い作品でした。次の機会はヤナーチェクかマルチヌーあたりをネトピル指揮で聴きたいと思ってしまったというのが本音です。
 
 
 
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パルジファル・・・Bayerische Staatsoper・・・2018/3/24 [オペラ]

 この公演がオマケなどと言ったら張り倒されそうな気もするのですが、前日のロベルト・デヴェリューがなかったらベルリンでバビロンを観ていたわけで・・・<(_ _)>
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Musikalische Leitung Kirill Petrenko
Inszenierung Pierre Audi

Amfortas Michael Nagy
Titurel Bálint Szabó
Gurnemanz René Pape
Parsifal Burkhard Fritz
Klingsor Derek Welton
Kundry Nina Stemme

 なんと感想を書いて良いやら。オマケ精神がよくなかったのか?深くパルジファルの世界に浸るには至らなかったというのが正直なところ。
 その理由を振り返ってみると、まずは一幕最後の儀式の場面でオケが少々乱れ、同時に騎士の姿に引いてしまったこと。どこのオケでも乱れることはあるでしょうが、それを補うだけの深みのある音を聞くこと能わず。よって2幕冒頭の凄みも今一つ。それも演出が読み替えだったらそれほど気にならなかったかもしれませんが、読み替えといえる演出でもなし。テンポが速めということもあってオケがついていけてない感もありましたが、それでもここまでは軽いジャブ程度。強烈なストレートパンチは花の乙女達の姿。逃げろ!パルジファル。
 結局のところ、演出が主犯、オケが幇助と言いたい気はするのですが、主犯はもう一人。他でもない[猫]自身かもしれません。今まで『タンホイザー』『マイスタージンガー』とペトレンコ指揮でここで聴いたときにはほとんど気にならなかったのですが、『パルジファル』に音は重要です。ドイツの歌劇場オケの双璧はSKBとSKD、ここはあと一歩という印象が今までもあったのですが、今回もその印象を払拭するには至りませんでした。ただ音は劇場の構造や音響システムに起因することもあるのでオケのレベルだけの問題ではないかもしれません。
 歌手は良くも悪しくも想定内で、公演の印象を大きく左右するには至らず。
 シュテンメについてはクンドリ役には歌い方が綺麗すぎるという評価を耳にしたことはありましたが、今までは読み替え演出とコンサート形式だったのでそういったことは気になったことはありません。しかし、今回の演出では浮浪者のような身なりで登場するのにもかかわらず、端正に歌うのが違和感大で、なるほどと思わざるをえませんでした。それでも2幕になると姿は一変。金髪の妖女という姿で何かに取りつかれたように歌い、面目躍如の活躍でした。

 演出については鑑賞しながら考えるというほどではないにしろ、寝ているわけではないので何かを連想したり、想起したりするものです。それは人それぞれ、それまでの経験や知識によって呼び覚まされるものかもしれません。それを幕間や終演後に反芻するわけですが、今回の演出は鑑賞しながらなんら思い浮かぶことなく、[猫]の干からびた梅干しのような脳味噌はついに空洞化まで進んでしまったようです。脳味噌が空しいこともあり、何か虚しさが残る演出で、同じアウディの『パルジファル』でも以前鑑賞したアムステルダムの演出の方が馴染みやすいものでした。

 もちろんなんだかんだ言っても、日本では鑑賞し難い公演だったわけで、ブツブツ言っているとやはり張り倒されそうです<(_ _)>

 以下蛇足。
 鑑賞するにあたり、拘りを捨てて常に新鮮な気持ちで臨んだほうが楽しめるのかもしれませんが、それまでの経験を無にすることはよほど痴呆が進まないと無理。拘りというのは人それぞれの経験で培われたもので、楽しむためにそれをあえて無にするのも空しい気がします。そんなことを心がけなくても、やがて知性に病ダレが見え隠れしはじめ、終には病ダレが張り付いて痴呆に至ります。そうなればこっちのもの、嫌でも常に新鮮に楽しめそうです。ただし、鑑賞後無事に帰ることができなくなるので付き添いが必要、付き添う人にとっては厄介かもしれません。それに痴呆よりも先に身体が動かなくなった場合はそうもいきません。はてさて痴呆が先か身体が動かなくなるのが先か、痴呆の場合は自分で気が付かない場合もあるので、これまた厄介です。

 
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ロベルト デヴリュー・・Bayerische Staatsoper・・・2019/3/23 [オペラ]

 グルベローヴァのオペラ出演はこの『ロベルト・デヴリュー』4公演をもって最後となりました。
 当初、不覚にも[猫]は最後ということに気づいておらず、ユリアちゃんの次の公演である27日ウィーンまでの間、ベルリン、ドレスデンと移動を計画。しかし、最後と知ったからには行かないわけにはまいりません。ユリアちゃんの追っかけ目的で計画した旅行ですが、むしろこの公演を主目的にしなくてはいけないくらいです。気づいたときに1席だけ残っていたのは幸いでした。

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Musikalische Leitung Friedrich Haider
Inszenierung Christof Loy

Elisabetta Edita Gruberova
Herzog von Nottingham Vito Priante
Sara Silvia Tro Santafé
Roberto Devereux Charles Castronovo
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 歌劇の歴史に名を残すディーヴァの最後のオペラ公演は、共演する歌手、指揮者、オケをはじめ全てのスタッフにとって特別な公演であろうことがひしひしと伝わる公演でした。もちろん観客にとっても特別な公演となったのは言うまでもありません。
 カーテンコールは長年にわたる功労を称え、感謝する観客の称賛でいつにも増して長く続きました。

 歌劇に興味を持ち始めた頃、ベルカントものが好きだと思ってましたが、それは勘違いだったようです。グルベローヴァ以外でこの演目を聴きたいと思うかといえば肯定できず、グルベローヴァだからこそ聴きたかったと言わざるをえません。今後興味を持ってこの作品を聴きたいと思える人は現れるでしょうか?

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セビリアの理髪師・・・Staatsoper Hamburg・・・2019/3/21 [オペラ]

 3月の旅行の目的はユリアちゃんの追っかけ。ロッシーニのブッファは使いまわしが多いせいか、どれも似たり寄ったり。正直なところ、もうあまり聴く気がしないのですが、ユリアちゃんが歌うとあれば別問題です。
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Musikalische Leitung Roberto Rizzi Brignoli
Inszenierung nach: Gilbert Deflo

Il Conte d'Almaviva Antonino Siragusa
Don Bartolo Maurizio Muraro
Rosina Julia Lezhneva
Figaro Franco Vassallo
Basilio Alin Anca
Fiorello Jóhann Kristinsson
Berta Ida Aldrian

 演出は1976年初演なので鉄板のレパートリー。それだけ長く続いているのは多くの人に支持されている演出ということでしょうが、やはり当たり前の演出は高揚感に欠けるのは否めません。それでもたまには良いとしておきます。それに歌手の人達にとって初演は演出家や指揮者からの要求が多く、そればかりでは疲労困憊。自由度が高いレパートリーもないと息がつまりそうです。
 指揮者は元々ファソリスだったのですが、気がついたときにはブリニョリに変更。指揮者としてはヴァッサーロ、シラグーサ、ムラーロと3人がいれば任せて安心、3人のベテランイタリア人歌手が公演の屋台骨といった印象の公演でした。
 ユリアちゃんを2010年にザルツブルクで初めて聴いた時はプログラムにソプラノと書いてあったのに、いつの間にかメゾとなっていて少々意外に思ったときもありました。しかし、今や第一声からして明らかにまろやかなメゾの声です。定番の演出ということもあり、歌に集中して丁寧な歌いまわしで聴かせてくれて、ベテラン歌手の間にあっていつにもまして初々しく、深窓の令嬢といった印象のロジーナでした。
 バジーリオ役の人はアンサンブルメンバーということでオトボケが堂にいった演技で好演。
 5人の重唱は見事に調和してました。
 公演のハイライトはアルマヴィーヴァがバルコニーの下で歌う愛のカンツォーネ。シラグーサがギターを自ら奏でながら歌ったのは素敵な見どころ、聴きどころでした。オケはその間お仕事がないので観客になっているメンバーも数人いましたが、滅多にない嬉しい機会だったことでしょう。
 ただし、シラグーサをキャスティングしながら最後のアリアはカットのまま。あくまでレポートリーとして特別なことはしなかったのは鉄板のレパートリーというより鉄壁のレパートリーかと思えた堅さでした。劇場の方針なのでしょうが、ドイツ、特に北部はロッシーニ作品に関心が高くないのかもしれません。
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エレクトラ・・・Staatsoper Unter den Linden・・2019/2/3 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Patrice Chéreau

KLYTÄMNESTRA Waltraud Meier
ELEKTRA Ricarda MerbethSabine Hogrefe
CHRYSOTHEMIS Vida Miknevičiūtė
AEGISTH Stephan Rügamer
OREST René Pape
DER PFLEGER DES OREST Franz Mazura
DIE VERTRAUTE, DIE AUFSEHERIN Renate Behle
1. MAGD Bonita Hyman
2. MAGD Marina Prudenskaya
3. MAGD Katharina Kammerloher
4. MAGD Anna Samuil
5. MAGD Roberta Alexander
DIE SCHLEPPTRÄGERIN Marina Prudenskaya
EIN JUNGER DIENER Florian Hoffmann
EIN ALTER DIENER Olaf Bär

 タイトルロールのオリジナルはヘルリツィウスだったのが1か月前くらいにメルベートに変更。しかし当日になってみると始まる前にメルベートが具合が悪くホグレーフェが歌うとのアナウンス。
 シェロー演出のこのプロダクションはエクサンプロヴァンスで鑑賞済みで、タイトルロールが出ずっぱりの演出なのに大丈夫かと思ったのですが、最後の踊りの場面以外は違和感なく無難にこなしてました。後で調べてみるとメトでも代役として同演出で歌ったことがある人と判明。ただ踊りが終始緩慢だったのは、ヘルリツィウスの緩急交えた熱く激しい踊りによって高揚感が最高潮になったのと比べると肩透かしといった感は否めず。メトでもここでも演技指導はあったはずなので、あのヘルリツィウスの踊りは彼女だからこそということなのか、演出家が故人となった今、演技指導は型通りということもあるかもしれません。
 結局、最も印象に残ったのはオレストとエレクトラの再会の場面。声のトーンを変え、語りかけるように歌うパーペの上手さは贔屓目ではなく際立ちました。マイヤーさまもさすがと思わせる面もありましたが、年月には逆らえないと思うところもあり。クリソテミス役の人が細くて華奢なのによく通る声で好演でした。
 
 演出はセットの雰囲気からして夏のエクサンプロヴァンスが合っているものですが、舞台の広さもしかり。ここの舞台がいつになく狭く見えて閉塞感がなきにしもあらずでした。

 演奏はワーグナーを聴いているようなゾクゾク感を感じることしばしば。いつもここでワーグナーを聴いているせいかとも一瞬思いましたが、ワーグナーの影響が色濃く表れた時代の作品です。それを強く感じた演奏でした。

 席はオケピを覗けるサイドの席。改修後に何回かこの位置に座った時と同様、こういった席では音響改善は演奏ほど歌手にはプラスに働かず、演奏の方が勝ってしまうことしばしば。しかし、この後4月に行ったときは同じような位置の席だったのに、そんなことは全く気にならず、歌手の声が演奏に埋没することはありませんでした。気づくとオケピの上方に下の写真のような反響版が設けられてました。この2月に訪れたときにはなかったように思うのですが、いつから装備されたのでしょう?
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セルセ・・・Oper Frankfurt・・・2019/2/2 [オペラ]

 この時期に遠征したのはベルリンフィルデビューが決まっているカリディスが指揮を執るこの公演が気になったからです。
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Musikalische Leitung Constantinos Carydis
Regie Tilmann Köhler

Xerxes Zanda Švēde
Arsamene Lawrence Zazzo
Romilda Louise Alder
Atalanta Elizabeth Sutphen
Amastre Katharina Magiera
Ariodate Božidar Smiljanić
Elviro Thomas Faulkner

Frankfurter Opern- und Museumsorchester
Vokalensemble
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 様式だけにとらわれず、劇としての信憑性と面白さも追求していた公演でした。
 
 しっとりと聴かせるアリアでは歌手はほとんど動くことなくゆっくりと歌ったのに対し、歌い方も演技も感情を露わに激しく表現する時があり、おのずとテンポが変化したのですが、演出と合って自然な流れでした。 
 ある歌手のインタビュー記事でカリディスは歌い方を細かく指示する指揮者だったと読んだことがあります。ドイツでは指揮者が歌い方を指示することは伝統的とはいえ、イタリアもの、しかも古楽を主としている歌手の人達にとってはどうなのだろうと思いながらの鑑賞でしたが、素人に指揮者の指示の有無を判断できるわけがありません。歌手の人達はテンポの変化も激しい演技もなんら苦も無く歌い演じていて、再演の最後の公演ということもあり、オケの演奏も含めて完成度の高い公演でした。
 途中カスタネットやタンバリンの周囲のシンバルを鳴らしたような音がしたのは今までこの作品で聴いたことがなく、そんな新鮮さとアグレッシブともいえる音楽づくりは同じギリシャ出身のクレンツィスに少し似ているような気もしました。

 オケピの周囲に歌手が通れる通路を設け、舞台の奥行が狭い歌手に優しいセット、時代は現代に設定した演出でした。幕や壁の背後でも演じることがあり、それをカメラで撮影しながら幕や壁に映し出すという手法はシンプルな舞台には効果的に思えました。

 カーテンコールは賞賛に溢れ、歌手の人達の満足気な笑顔が印象的でした。

 
 
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ニュルンベルクのマイスタージンガー・・Staatsoper Unter den Linden・・2019/4/14 [オペラ]

 フォークト半端ない。フォークト神ってる。
 フォークトについては今までも不思議くんだのユニコーンだの超サイヤ人などさんざん普通でない表現を使ってきたので、何を今更という感がなきにしもあらず。しかし、前日ザルツブルクで同役を歌ったのにもかかわらず、代役として歌ったこの日もトップフォームと言って良いほどで、やはり半端ない、神ってる、と書かずにはおれません。この役は少々調子悪いくらいのほうが緊張感に信憑性がでて良いかもなどと書いたこともありましたが、我ながら笑止千万。単なる世迷言でしかなかったと思い知らされたのでした。
 尚、シャーガーが神った『ダフネ』からフォークトが神った『マイスタージンガー』までの間八公演鑑賞してますが、神ったついでで先にこの公演をアップ。他は気が向いたら書くこととします。
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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Andrea Moses

HANS SACHS Wolfgang Koch
VEIT POGNER Matti Salminen
EVA Julia Kleiter
WALTHER VON STOLZING Klaus Florian Vogt
DAVID Siyabonga Maqungo
MAGDALENE Katharina Kammerloher
KUNZ VOGELGESANG Graham Clark
KONRAD NACHTIGALL Adam Kutny
SIXTUS BECKMESSER Martin Gantner
FRITZ KOTHNER Jürgen Linn
BALTHASAR ZORN Siegfried Jerusalem
ULRICH EISSLINGER Reiner Goldberg
AUGUSTIN MOSER Florian Hoffmann
HERMANN ORTEL Arttu Kataja
HANS SCHWARZ Franz Mazura
HANS FOLTZ Olaf Bär
NACHTWÄCHTER Erik Rosenius
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 舞台上は始まる前から一人、二人と人が集まり始め、その中に往年の名歌手達の姿が現れると隣のおじさんはイェルサレム、クラーク、マツーラ、ゴルトベルクなど指さしながらワクワク。生粋のワグネリアンでした。すると舞台にマイクを持った人も登場。ベルリンは真冬の寒さだったのでキャスト変更があるだろうとは予想してましたが、ユンとクレンツレが降板。サルミネンとガントナーが代役とあって往年の名歌手度アップ。さらに・・・隣のおじさん「今ヴォーグトが歌うって言った?」「はい。フォークトです。」おじさん頭をかかえて「ヴォーグト?本当にヴォーグトが歌うの?」「ハイ!ヴォーグトです!」ドイツの人ではなかったのでヴォーグトと言ったほうがピンとくるらしく、始まる前からおじさんは昇天するのではないかと思うほど大興奮。いや、おじさんだけでなく、会場全体が始まる前から熱気に包まれ、公演は観客の興奮と期待そのままに、素晴らしい現在進行形の『マイスタージンガー』となりました。
 フォークトは元ゼンパーのアンサブルなので、今回SKDとSKBの公演が同時期になってしまったことでSKDの公演を優先せざるをえなかったのは仕方のないところ。しかし、この公演も初演時に出演したとあって、できることなら出演したいと思っていたに違いありません。カーテンコールでの晴れやかで満足気な笑顔がそれを物語っていました。初演時から三年以上経過しているにもかかわらず、演出はしっかりと身に沁みついているといったところで公演に溶け込み、コッホとのやり取りなどは自然すぎてアドリブでやっているかとも思えた場面もあり。歌合戦での『朝はバラ色に輝いて』は往年の名歌手の人達も聞きほれているようでしたが、個人的に最も素敵だと思ったのはエファに向かって歌ったとき。エファ役のクライターもこの演出では一段と活き活きと輝いて美しく、印象的な名場面でした。
 フォークトだけでなく、コッホとクライターも初演時より演出に対する熟練度が進んでいるように思われ、この三人によって初演時より進化した印象の公演となったのですが、さらにエンディングの演出を変えていたことも進化したと思えた要因です。初演時は古い伝統に縛られることなく未来志向といったコンセプトで、往年の名歌手の人達に疎外感が残るものだったのに対し、今回は往年の名歌手の人達も一緒にみんなで青空を眺めるという最後で、古い伝統を大切にしながらも未来志向というコンセプトだったのはより現実的で一体感のある気持ちよいものでした。
 更には新しい才能が加わっていたのも魅力。ダフィット役は発表時は初演時に歌ったリューガマーだったと記憶してますが、リューガマーはフェスのもう一つの演目で主役を歌うことになっていて負担を考えるとバレンボイム先生は他に適役を探していたに違いありません。Siyabonga Maqungoは1989年生まれの南アフリカ人。ボータの後輩です。2018/19シーズンからケムニッツのアンサンブルですが、その前にマイニンゲンで数年間アンサンブルメンバーだったとのこと。小太り体型がなんとも憎めない素朴な雰囲気で、芯のある若々しく張りのある声で好演。バレンボイム先生の指導もあったでしょうが、既にドイツでキャリアを積んでいることもあってか歌い方も自然で、カーテンコールでは他のメインキャスト同様、盛大に称賛されてました。キャスト変更によって往年の名歌手度がアップしたことで、テレ朝の『やすらぎの郷』状態になってもおかしくないところを、グっと未来志向という演出に引き寄せる力を発揮した存在で、この機会は彼自身にとっても大きなステップアップとなったに違いありません。
 バレンボイム指揮の演奏は全体を通していうと、やや速めという印象。キャスト変更もあったのでテンポの変化は歌手に寄り添い、登場人物の心情に合わせた自然な流れでした。2幕最後の殴り合いの場は快速特急でしたが、さすが長年寄り添っているオケとあってよくついていって、その活力溢れるさまは痛快でした。

 尚、マツーラは御歳95になったとのこと。来シーズンの再演はありませんが、近い将来再演があることを願い、元気なお姿でご出演いただきたいものです。

 今回三公演あったうち、フォークトが歌ったのはこの公演のみ。初演時からのメインキャスト、コッホ、フォークト、クライターのうち一人でも欠けたらここまで充実した公演になったかは分かりません。この公演に接することができたことは幸運というほかなく、これで運を使い果たし、やがて不運もやってくるとまで覚悟してしまいました。そしてすぐにその時は訪れ、帰国便の機内で悪寒がすると思っていたら帰国したときにはフラフラで鬼の霍乱状態。発熱で一週間ほどダウンしてました。それでもこの程度で済んだとしたらまだまだ幸運です。
 
 
 
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