SSブログ

タメルラーノ・・Teatro alla Scala ・・2018/10/4 [オペラ]

今回の旅行で最も良い席での鑑賞だったのに、残念ながら写真は失敗<(_ _)>
ブログDSCF8679.jpg
Conductor Diego Fasolis
Staging Davide Livermore
Teatro alla Scala Orchestra on period instruments

Tamerlano Bejun Mehta
Bajazet Kresimir Spicer
Asteria Maria Grazia Schiavo
Andronico Franco Fagioli
Irene Marianne CrebassaLucia Cirillo
Leone Christian Senn

 ヘンデルはなんといっても様式感のある歌唱を満喫することが醍醐味。その点では既にヴェルサイユとザルツブルクで堪能したことはありますが、今回は演出つき本格的舞台での初鑑賞です。
 演出つきなのですから様式感といった面だけでなくドラマとして伝わるものがあることを期待して臨むのは当然といえば当然。これが期待以上、心揺さぶられる悲劇となってました。

 元々バヤゼットの死という重さのある作品ではありますが、演出をロシア革命に設定することにより、元の話よりも更に悲しみは深く、主役はアステリア、準主役はアンドロニコ、タイトルロールのタメルラーノは革命軍の主導者とあって、今回は悪役といった印象が残った公演でした。
 
 冒頭から凍てつく厳冬のロシアの雰囲気に満ちた舞台。セットと衣装は一流歌劇場としての誇りを感じるもの。その他大勢が演技する戦闘シーンは時にスローモーションというだげでなく、静止、巻き戻しを交えて繰り返され、その悲惨さを強調。映像で表現するようなシーンを実際に人が演じるといった趣向に保守的なイタリアの人は慣れていないのか?最初は巻き戻した動作で笑いが漏れてしまいました。確かに最初こそ少々違和感がなきにしもあらずではありましたが、すぐに慣れて煩わしいというほどではなく背景と化し、戦闘の凄惨さを表現するのに映像以上の効果があったように思えました。おそらくダンサー達がこのリピート演技をしていたと思うのですが、戦闘シーンなので倒れたり走ったりと激しく動いているにもかかわらず、音はほとんど気にならず、しかも何人もの人達が音楽に合わせて一斉に静止、巻き戻し、再生を繰り返すのですから、芸術的なプロのダンスといった様相でした。それに歌手の人達はそれが煩わしいと思える程度の実力の人達は皆無。舞台中央で集中して歌うことが多かったのに歌合戦という印象が皆無だったのもリピートダンスが自然な流れを創る効果になっていたように思えました。
 演出について重箱の隅をつつかせてもらうと、一幕、バヤゼットとアステリアが列車で護送されていくという設定で、列車が動いているように見せるため、監視兵が縦に小刻みに動いていたのが少々奇妙ではありました。列車は横揺れ、縦揺れは車。こんな些細なことが気になったくらいで、全体としては非常によくできた演出でした。
 
 歌手についてですが、冒頭アナウンスあり。クレバッサが歌えない状態なので代わりにチリッロが歌うとのこと。舞台上で他の人が演技をしてチリッロが舞台端で歌うという形での上演でした。前日に引き続きのキャストチェンジで、考えてみると夏に観たアイーダから数えるとキャストチェンジ三連荘です。
 チリッロは様式感が見事な美しい歌を聴かせてくれて、古楽を中心に活躍しているであろうことが分かるものでした。
 演出つきで古楽作品やベルカント作品を鑑賞する場合、様式感と劇的信憑性のバランスが気になることがあります。様式美で溢れているのに物語として感情移入できない場合もあるからですが、今回の歌手の人達は全体として劇的信憑性と様式美がバランスよく堪能できて満足感が高いものでした。
 劇的信憑性に重きを置いたように思えたのはバヤゼット役のシュピチェル。どこかで聴いた気がすると思ったらちょうど1年前にここスカラでバジリオ役で聴いてました。その時も好演してましたが、今回の入魂のパフォーマンスは胸を打たれるものでした。高音が良い声で素晴らしく通る人で、その割に中低音が弱いのが気にはなったのですが、怒りと焦燥感と娘への愛情が複雑に交錯する様子は鬼気迫るもの。気持ちが入りすぎて様式感という面では微妙でしたが、それよりも悲劇性を高めた功労者として賞賛したいところです。
 メータとファジョーリはザルツブルクのコンサート形式で聴いたことがあり、その時は声量といった面で差があったのは否めませんでしたが、今回は収容人数はほとんど変わらないサイズの劇場にもかかわらず、平土間前方で聴くかぎりはほとんど差は感じませんでした。この二人を演出つきで聴くと改めてそれぞれ適役だということを納得することとなりました。
 ファジョーリは繊細かつまろやかなアジリタを披露したのはもちろんのこと、舞台センスが良いので劇的信憑性といった面でも複雑な内面を自然体でこなす演技が見事。今シーズンはこの後エリオガバロ以外は演出つきの舞台をやらないのが残念に思えてしまいます。
 メータは年齢的にいっても超ベテランの域だと思うのですが、よく通る美声は相変わらず。アジリタも輪郭がはっきりして揺るぎなく、威厳を醸し出してました。今回の演出では占拠した皇帝邸で猥雑にたむろした革命軍兵士たちの真ん中で堂々とふんぞり返っている様相に、悪役の印象が強くなってましたが、それこそが演出のコンセプトといったところ。鑑賞後は感情移入しすぎて寛容さはもっと早く示せヨと思ってしまったしだい。
 二人のCTの重唱は聴きごたえ十分でもっと長く聴いていたかったくらいでした。
 ただこの二人については既に何回か聴いているということもあってか、今回最も印象に残ったのはアステリア役のスキアーヴォ。悲劇の皇女としてイメージぴったり。透明感のある華やかな歌声は様式感を保ちながらも活き活きとして、皇女としてのプライドや意志の強さも感じるもの。感情移入せざるをえず、最後の四重唱を虚しく聴くことになったのでした。

 この劇場で本格的バロックを上演するのは初めてらしいのですが、オケはスカラのオケと指揮のファソリスの古楽オケ、イ・バロッキスティの混成とのこと。古楽器でも相変わらず美しい音を堪能。ファソリスはローザンヌの『アリオダンテ』でも聴いたことがありますが、その時と同様、古楽らしくテンポを大きく変化させることなく譜面とおりといった演奏は好ましく、1幕終了時、楽譜を高々と上げたのも譜面どおりというポリシーを感じました。
 バロックには劇場のサイズが大きすぎる気がして席は平土間前方を取りましたが、上階の席ではどういうふうに聞こえたかは?
 
 開演夜8時。終演は12時半近くだったので、カーテンコールもそこそこに劇場を後にしましたが、既に地下鉄は走ってなく、タクシーでホテルまで行くことに。
 以前は働いている人達との契約で夜12時を超えることはなかったはずで、ワーグナー上演時ではオケのメンバーがあわててオケピを後にしていたのを思い出しましたが、ペレイラ総裁になってから労働条件が変更になったのでしょうか。いずれにせよ遅くまで上演するには環境が整っていないのは困ったものです。開演時間を1時間早めれば問題ないとも思うのですが、夕食はゆっくりと取ってからでないとという土地柄なのでしょうか?
 公演は大変満足できたので、今後も古楽を取り上げてほしいと思うのですが、来シーズンはなし。ということで来シーズンは来る機会はないかもしれません。
 


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。