リナルド・・Bockenheimer Depot・・2017/10/3 [オペラ]
4,6,8月とワーグナーは結構聴いたので、しばらくは古楽中心で鑑賞します。
10月はリナルド、タメルラーノ、ミランダの古楽3連荘、そして7年も待ったベルリン国立歌劇場、最後はオマケでバレエの大地の歌を鑑賞してきました。フランクフルト→ミラノ→パリ→ベルリン→バーデン・バーデンと毎日移動で大変だとは思ってましたが、ベルリンまでは順調で問題なし。ベルリンは時折強い風雨で変な天気だと思ってはいたのですが、この日、北ドイツは悪天候で鉄道が止まって大騒ぎだったとのこと。当然翌日も影響が残り、キャンセルの列車が多く中央駅のトラベルセンターは長蛇の列。幸い乗る9時35分発の列車は予定通り出発したものの、途中で止まったりしながらの運行。フランクフルト乗り換えで14時半頃到着するはずが、マンハイム乗り換えで17時半頃到着と3時間遅れでバーデンバーデンに到着。こんなことならオマケの公演はパスしても良かったかと一瞬思いましたが、この日帰る予定だったとすると飛行機に乗り遅れていたかもしれず、結果オーライです。天候によるイレギュラーは万歳お手上げ。無事に最後の公演も観れたのはラッキーとプラス思考に限ります。
どの公演も充実して満足感は高かったのですが、なんだかんだで帰ってからドッと疲れがでること甚だしく、いつにも増して書く気になれず・・・2か月くらいかけてポツポツと書くことになると思います。
Musikalische Leitung Simone Di Felice
Regie Ted Huffman
Rinaldo Jakub Józef Orliński
Armida Elizabeth Reiter
Almirena Karen Vuong
Argante Brandon Cedel
Goffredo Julia Dawson
EustazioDaniel MiroslawDmitry Egorov
Frankfurter Opern- und Museumsorchester
到着日。フランクフルト歌劇場の公演ではありますが、会場のボッケンハイマー・デポはかつて市電の車庫だったところで、外観もいかにも車庫なら内部も梁がむきだし。ボーフムのヤールフンデルトハレほど大きくはないものの似た雰囲気です。
客席は段差が結構あって後方でも視界に全く問題なし。客席数が350ほどしかない上に人気が高かったようで、補助の客席として段のある客席の両脇に10数席ずつ折りたたみ椅子が置かれてましたが、平面の床なのでそこはあまりよく見えなかったことでしょう。
オケピといえるような囲いはなく、最前列の人達の目の前でオケのメンバーが演奏している状態でした。
冒頭アナウンスがあり、バスのミロスワフが前の公演で肩を痛めたということでキャストチェンジ。代役はカウンターテノールのエゴロフで、オケの後ろで歌って舞台上で他の人が演技するという形での上演でした。オリジナルはカウンターテノールかアルトなので、様式感といった意味ではカウンターテノールのほうが合っているのかもしれませんが、バスが歌うとどういった雰囲気になるのか聴いてみたかった気もしました。
この公演で肩を痛めたとのこと、始まってすぐにさもありなんと思えた演出の公演でした。幕はなく、床が黒い舞台は客席側にかなり傾斜していて、冒頭から舞台上で激しく剣を交えた二人が転がるように戦うのには、そのままオケに突っ込まないかと心配するほど。これが舞台とオケの間に細い溝があり、実際にそこに転がり落ちるときもあれば、這い上がるように舞台に登場したりするという仕掛け。出演者全員若手といった雰囲気でしたが、若くて身体能力が高いからこそできる演出で、それが魅力の一つと言ってよいほど他はセットなど何もなし。傾斜に沿うように足の長さが違う椅子や持ち運びのできる木などの小道具類が用いられただけの非常にシンプルな演出でしたが、スモークを使用したり、『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムのような不気味な動きをするダンサー達、衣装や被り物などで魔女ものの雰囲気を創り上げていたのは巧みでした。
ただ実際にケガ人が出たという事態に至っては、再演時には安全第一で、舞台の傾斜を緩やかにする等の対策を講じてほしいものです。
歌手はタイトルロールのオルリンスキと代役のエゴロフ以外はフランクフルト歌劇場のアンサンブルのようでしたが、時に激しい動きが要求される演技面でもチームワークの良い完成度の高さで、それぞれの役に入り込んだ歌手たちの歌はヘンデルらしい様式感といった面においても文句なしでした。
役柄から当然と言えば当然ですが、目立っていたのはタイトルロールのオルリンスキとアルミーダ役のライター。
オルリンスキは1990年生まれとのことなのでまだ27歳。しかし既にエクサンプロヴァンスの音楽祭でも歌っているだけあって歌の実力はもちろんのこと、ダンサーとしても活躍できるという運動能力の高さは舞台人として大きな可能性を感じるものでした。今回の演出では斜度のある舞台上でも戦闘シーンや捉えられて引きずり回されるシーンではクルクルクルと前転後転三昧。四つん這いの姿勢で下を向いて歌っても床の素材が反響板になっているかのごとくきれいに声が通って、劇的信憑性と様式美の両方をバランスよく表現できる逸材に思えました。これだけ歌って動ける人がいればセットにお金をかける必要もなく演出の幅が広がるというもので、実際この新制作『リナルド』はオルリンスキあっての演出といったところでした。
魔女ものとしてアルミーダ役が弱いと面白味が生まれませんが、ライターの歌い方や動作がいかにも悪だくみしそうな雰囲気でしっかりと公演のキーパーソンの役割を担ってました。
演奏はフランクフルト歌劇場と古楽オケの混成でしたが、旧市電車庫はバロックに丁度よい音響空間で心地よいものでした。
ただ演奏が心地よすぎたせいか否か?演奏のせいにしてはいけませんが・・・惜しむらくは・・・・到着日とあって後半の途中から瞼の重みに耐えかねて目を開いていられなくなってしまいました<(_ _)> 決して面白くなかったわけではないのですが、大きな読み替えがある演出ではなく、脳への刺激が希薄ではありました。それにしても、いつも眠くなるときは黒目が瞼に隠れようとして白目をむくパターンだったのに、今回は瞼が重くて耐えられなかったという事実にガックリ。目の周りの筋肉が衰えているということです。ある年齢を過ぎると衰えを自覚していくことは避けられないことですが、元気なうちにあちこち行っておかなくてはとますます思ったのでした。
それでも耳だけは起きていた気がしていて(気がしているだけかも?)最後は頑張って目を開けました。もともと十字軍のエルサレム奪還という話よりも魔法オペラとして娯楽性の高い作品です。結末も元の話は古楽にありがちな不自然なハッピーエンドですが、そこは変えてました。これがアルミーダの末路はしっかりと見とどけたのですが、アルガンテはどうなったのか?瞼の重さが自分のことながら恨めしい公演でありました。
ところで演出の手法として要所要所にスローモーションを取り入れてましたが、今回の古楽3連荘は演出家が違っても全ての公演で同様の手法が見受けられ、流行りのようでした。演出家がお互い影響しあうということを実感したのは初めてではありません。時に同じ手法を何回も見ると新鮮さが薄れてくるものですが、今回鑑賞した3公演については違和感なく、どれも有効的な手法に思えました。
カーテンコールは賞賛に溢れてました。
10月はリナルド、タメルラーノ、ミランダの古楽3連荘、そして7年も待ったベルリン国立歌劇場、最後はオマケでバレエの大地の歌を鑑賞してきました。フランクフルト→ミラノ→パリ→ベルリン→バーデン・バーデンと毎日移動で大変だとは思ってましたが、ベルリンまでは順調で問題なし。ベルリンは時折強い風雨で変な天気だと思ってはいたのですが、この日、北ドイツは悪天候で鉄道が止まって大騒ぎだったとのこと。当然翌日も影響が残り、キャンセルの列車が多く中央駅のトラベルセンターは長蛇の列。幸い乗る9時35分発の列車は予定通り出発したものの、途中で止まったりしながらの運行。フランクフルト乗り換えで14時半頃到着するはずが、マンハイム乗り換えで17時半頃到着と3時間遅れでバーデンバーデンに到着。こんなことならオマケの公演はパスしても良かったかと一瞬思いましたが、この日帰る予定だったとすると飛行機に乗り遅れていたかもしれず、結果オーライです。天候によるイレギュラーは万歳お手上げ。無事に最後の公演も観れたのはラッキーとプラス思考に限ります。
どの公演も充実して満足感は高かったのですが、なんだかんだで帰ってからドッと疲れがでること甚だしく、いつにも増して書く気になれず・・・2か月くらいかけてポツポツと書くことになると思います。
Musikalische Leitung Simone Di Felice
Regie Ted Huffman
Rinaldo Jakub Józef Orliński
Armida Elizabeth Reiter
Almirena Karen Vuong
Argante Brandon Cedel
Goffredo Julia Dawson
Eustazio
Frankfurter Opern- und Museumsorchester
到着日。フランクフルト歌劇場の公演ではありますが、会場のボッケンハイマー・デポはかつて市電の車庫だったところで、外観もいかにも車庫なら内部も梁がむきだし。ボーフムのヤールフンデルトハレほど大きくはないものの似た雰囲気です。
客席は段差が結構あって後方でも視界に全く問題なし。客席数が350ほどしかない上に人気が高かったようで、補助の客席として段のある客席の両脇に10数席ずつ折りたたみ椅子が置かれてましたが、平面の床なのでそこはあまりよく見えなかったことでしょう。
オケピといえるような囲いはなく、最前列の人達の目の前でオケのメンバーが演奏している状態でした。
冒頭アナウンスがあり、バスのミロスワフが前の公演で肩を痛めたということでキャストチェンジ。代役はカウンターテノールのエゴロフで、オケの後ろで歌って舞台上で他の人が演技するという形での上演でした。オリジナルはカウンターテノールかアルトなので、様式感といった意味ではカウンターテノールのほうが合っているのかもしれませんが、バスが歌うとどういった雰囲気になるのか聴いてみたかった気もしました。
この公演で肩を痛めたとのこと、始まってすぐにさもありなんと思えた演出の公演でした。幕はなく、床が黒い舞台は客席側にかなり傾斜していて、冒頭から舞台上で激しく剣を交えた二人が転がるように戦うのには、そのままオケに突っ込まないかと心配するほど。これが舞台とオケの間に細い溝があり、実際にそこに転がり落ちるときもあれば、這い上がるように舞台に登場したりするという仕掛け。出演者全員若手といった雰囲気でしたが、若くて身体能力が高いからこそできる演出で、それが魅力の一つと言ってよいほど他はセットなど何もなし。傾斜に沿うように足の長さが違う椅子や持ち運びのできる木などの小道具類が用いられただけの非常にシンプルな演出でしたが、スモークを使用したり、『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムのような不気味な動きをするダンサー達、衣装や被り物などで魔女ものの雰囲気を創り上げていたのは巧みでした。
ただ実際にケガ人が出たという事態に至っては、再演時には安全第一で、舞台の傾斜を緩やかにする等の対策を講じてほしいものです。
歌手はタイトルロールのオルリンスキと代役のエゴロフ以外はフランクフルト歌劇場のアンサンブルのようでしたが、時に激しい動きが要求される演技面でもチームワークの良い完成度の高さで、それぞれの役に入り込んだ歌手たちの歌はヘンデルらしい様式感といった面においても文句なしでした。
役柄から当然と言えば当然ですが、目立っていたのはタイトルロールのオルリンスキとアルミーダ役のライター。
オルリンスキは1990年生まれとのことなのでまだ27歳。しかし既にエクサンプロヴァンスの音楽祭でも歌っているだけあって歌の実力はもちろんのこと、ダンサーとしても活躍できるという運動能力の高さは舞台人として大きな可能性を感じるものでした。今回の演出では斜度のある舞台上でも戦闘シーンや捉えられて引きずり回されるシーンではクルクルクルと前転後転三昧。四つん這いの姿勢で下を向いて歌っても床の素材が反響板になっているかのごとくきれいに声が通って、劇的信憑性と様式美の両方をバランスよく表現できる逸材に思えました。これだけ歌って動ける人がいればセットにお金をかける必要もなく演出の幅が広がるというもので、実際この新制作『リナルド』はオルリンスキあっての演出といったところでした。
魔女ものとしてアルミーダ役が弱いと面白味が生まれませんが、ライターの歌い方や動作がいかにも悪だくみしそうな雰囲気でしっかりと公演のキーパーソンの役割を担ってました。
演奏はフランクフルト歌劇場と古楽オケの混成でしたが、旧市電車庫はバロックに丁度よい音響空間で心地よいものでした。
ただ演奏が心地よすぎたせいか否か?演奏のせいにしてはいけませんが・・・惜しむらくは・・・・到着日とあって後半の途中から瞼の重みに耐えかねて目を開いていられなくなってしまいました<(_ _)> 決して面白くなかったわけではないのですが、大きな読み替えがある演出ではなく、脳への刺激が希薄ではありました。それにしても、いつも眠くなるときは黒目が瞼に隠れようとして白目をむくパターンだったのに、今回は瞼が重くて耐えられなかったという事実にガックリ。目の周りの筋肉が衰えているということです。ある年齢を過ぎると衰えを自覚していくことは避けられないことですが、元気なうちにあちこち行っておかなくてはとますます思ったのでした。
それでも耳だけは起きていた気がしていて(気がしているだけかも?)最後は頑張って目を開けました。もともと十字軍のエルサレム奪還という話よりも魔法オペラとして娯楽性の高い作品です。結末も元の話は古楽にありがちな不自然なハッピーエンドですが、そこは変えてました。これがアルミーダの末路はしっかりと見とどけたのですが、アルガンテはどうなったのか?瞼の重さが自分のことながら恨めしい公演でありました。
ところで演出の手法として要所要所にスローモーションを取り入れてましたが、今回の古楽3連荘は演出家が違っても全ての公演で同様の手法が見受けられ、流行りのようでした。演出家がお互い影響しあうということを実感したのは初めてではありません。時に同じ手法を何回も見ると新鮮さが薄れてくるものですが、今回鑑賞した3公演については違和感なく、どれも有効的な手法に思えました。
カーテンコールは賞賛に溢れてました。