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アイーダ・・・Großes Festspielhaus・・・2016/8/16 [オペラ]

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Riccardo Muti, Musikalische Leitung
Shirin Neshat, Regie

Roberto Tagliavini, Der König
Ekaterina Semenchuk,Daniela Barcellona, Amneris
Anna Netrebko, Aida
Francesco Meli, Radamès
Dmitry Belosselskiy, Ramfis
Luca Salsi, Amonasro
Bror Magnus Tødenes, Ein Bote
Benedetta Torre, Oberpriesterin

Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Ernst Raffelsberger, Choreinstudierung
Wiener Philharmoniker
Angelika-Prokopp-Sommerakademie der Wiener Philharmoniker, Bühnenmusik
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 夏の旅行の最終日。ヴェルディの場合、耳が虚弱体質の[猫]にありがちなのは「コーラスがうるさい」などと言い出すこと。耳が丈夫な人や難聴ぎみの人には全く意味不明のこのようなことを言うことのないように、席は久々に奮発して平土間。

 冒頭で係員が登場。キャストチェンジのアナウンスがあり、セメンチェクの代わりにバルチェロナがアムネリスを歌うとのこと。代役としてこれ以上の人を望むべくもありません。この日の朝到着したばかりで尚且つキャリアとしてそれほど歌い込んだ役ではないと思うのですが、煩雑な演出ではなかったこともあってか自然に違和感なく見事に溶け込んでいたのはさすがです。
 ネトレプコはアイーダをムーティ先生の元でロールデビューできたことは幸運以外の何物でもないでしょう。当然アドヴァイスがあったことと想像しますが、コントロールされた弱音の悲哀の表現はかつて聴いたことがないほど見事で、新たな境地に達したのではないかと思えるほどでした。
 メッリについても最初のアリア『清きアイーダ』で同様のことを感じたのですが、最後を譜面通り弱音で歌ったことで譜面通りであるからこそ伝わるせつなさがあるのを実感したのでした。
 以前ナブッコのタイトルロールで聴いたことがあるサルシ。演出がほとんどコンサート形式で棒立ちで歌うことの多かったナブッコの時に比べると、今回は自然な演技を伴ってずっと好印象でした。
 ランフィス役のベロゼルスキーも文句のつけようもありません。
 
 演奏は優しく穏やかに歌に寄り添い、ここぞというときは解き離れたように盛り上がるさまは、必要以上に誇張することなく原典を大切にするムーティー先生ならでは。[猫]の最大の願いは最初の一音から最後の一音までムーティー先生の音楽を拍手が被ることなく聴かせてちょーだい!ということでしたが、観客全員が同様の願いを持って臨んだのかもしれません。念願叶ったことは大いに喜ばしいことではありましたが、『アイーダ』という戦禍の悲劇に観客はアリアの後即拍手、幕に反応して拍手という反応ができる公演ではありませんでした。

 イラン出身の演出家ネシャットは古代エジプトの悲劇である『アイーダ』を時代や場所を特定しない形で普遍的な戦禍の悲劇に変えることに成功してました。舞台装置のみならず、その他大勢の登場人物を徹底的にクールに演出することで、戦争が勝者の心も敗者の心も凍らせることを伝え、主要登場人物の熱い心と深い悲しみを浮き出すことにも成功していました。特に印象的だったのは凱旋の場面。勝者がじっと固まってひな壇に座っている冷たさは感情のかけらもない人形のようで、それが観客と向かい合っていたために観客を映す鏡のようでもありました。舞台が回転して背後に捕虜の姿が見えたとき、深読み癖のある[猫]には、こうしている今も戦禍で苦しんでいる人がいることを忘れないでほしいと静かに訴えているようにも思えたのでした。
 セットの素材も考慮されていて、特に最後の場面では、牢が見た目はシンプルな白い箱であっても反響が素晴らしく、中で歌うアイーダとラダメスの重唱が美しく際立つさまが強く印象残ったのでした。
 欲を言うと場面転換で間が開いてしまうのが少々残念ではありましたが、些細なことではあります。
 それにイタリア伝統の一列横並びもあったのですが、非常にクールな演出だったことと、音楽にブンチャッチャッ感が希薄だったことで三輪トラックやボンネットバスを思い浮かべるようなこともありませんでした。もしかするとブンチャッチャッと一列横並びが重なると脳内で昭和ノスタルジックモードが入ってしまうのかもしれません。

 カーテンコールは賞賛に溢れていたのは言うまでもありません。
 ムーティー先生は今後演出つきの公演を振る機会がないかもしれないので、この公演に臨めたことは幸運でありました。

 今回の旅行で観たザルツブルクの三公演は、テロや戦禍の悲劇ということで世相を反映した作品ばかりでしたが、生きている芸術のあり方として自然なことだと思います。
 娯楽性の強い作品や時に知性に病ダレがつくようなバカバカしい作品も好きではありますが、ザルツブルクという国際的な音楽祭として今後も注目していきたいと思わせる姿勢が伺えた今年の音楽祭でした。

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