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トリスタンとイゾルデ・・Staatsoper Unter den Linden・・2018/3/11 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG, BÜHNENBILD Dmitri Tcherniakov

TRISTAN Andreas Schager
KÖNIG MARKE Stephen Milling
ISOLDE Anja Kampe
KURWENAL Boaz Daniel
MELOT Stephan Rügamer
BRANGÄNE Ekaterina Gubanova
EIN STEUERMANN Adam Kutny
STIMME EINES JUNGEN SEEMANNS, EIN HIRT Linard Vrielink
TRISTANS MUTTER Kristin Becker
TRISTANS VATER Mike Hoffmann
ENGLISCHHORN Florian Hanspach-Torkildsen
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 前日にノイエンフェルスの演出を観たあとではチェルニアコフも普通の演出家と思えてしまったというのが正直なところ。同じチェルニアコフ演出の『パルジファル』がカルトという社会問題を浮き彫りにして衝撃的な結末だったので、今回はどんな問題に焦点を当てるのか期待してました。これが期待外れとまではいかないまでも少々肩透かしぎみ。焦点を当てたのはトリスタンの内面で、両親の思い出がトラウマになっているという設定のようでしたが、今一つ分かりにくく説得力に欠けていた感がありました。それでも前日同様、どんな演出であろうが鑑賞できた満足感は高かったのは言うまでもありません。

 チーム・バレンボイムの『トリスタンとイゾルデ』はマイヤーさまのベルリンでの最後のイゾルデに思いがけず立ち会えたのが2014年12月。溺れそうな『トリスタンとイゾルデ』はもう聴けないのかと一種の喪失感に襲われたものです。しかし、バレンボイム&SKBの溺れそうな『トリスタンとイゾルデ』は健在でした。それでも歌手と演出が変わったのですから全体の印象が変わらないわけはありません。

 クプファー演出マイヤー&ザイフェルトの印象が冷たい北の海を照らす青白い月だとすると、チェルニアコフ演出カンペ&シャーガーは空も海も真っ赤に染める夕日。つまり、熱い、ということ。三幕に夕日に照らされている場面があるからというわけではなく、そう感じた一つの要因はシャーガーの個性によるもののような気がしてます。なんといっても『ジークフリート』でのシャーガーの熱い歌いっぷりにはのぼせて温泉卵になったような感覚になってしまったことがあるのですが、今回は温泉卵とまではいかなかったものの、演出の演技付けも熱いと感じた大きな要因でした。

 シャーガーの良さは正にヘルデンという声質と疲れを知らないエネルギッシュな歌いっぷりですが、バレンボイム先生は才能を見出すとその長所を最大限に生かすという方針のようで、このところチェルニアコフと組むことが多いのも出演者の個性に合った演出にするタイプだからだと想像するのです。ただ今回はエネルギッシュすぎる演技付けだったのではないかというところ。特に一幕終盤の薬を飲んでお互いの愛を歌う場面と三幕のトリスタンの狂乱ぶりにはバタバタと激しすぎる感は否めませんでした。今後再演を重ねて落ち着いてくるのかもしれません。
 
 ハマリ役があると時として何を歌ってもその役が浮かんできてしまうということがあります。『トリスタンとエレクトラ』『トリスタンとオルトルート』『トリスタンとゼンタ』こう書いただけで誰が歌ったか想像できてしまうのでは? [猫]自身は実演で聴いたわけではないので、このようなことを書くのは単なる思い込み以外の何物でもないのですが、今回聴く前から想像してしまったのは言わずもがな『ジークフリートとイゾルデ』にならないかな?ということ。結果として『ジークフリートとイゾルデ』とまではいかなくとも『ジークタンとイゾルデ』?といった雰囲気が無きにしも非ずでした。

 イゾルデ役のカンペはどんな役でもどんな演出でもこなせる貴重な歌手です。時代を現代に設定したことで意思の強い現代女性いった印象のイゾルデで、最後の『愛の死』は感動的でした。
 
 ブランゲーネとクルヴェナルは現代に設定した演出では従者というより友人という雰囲気。以前からチーム・バレンボイムの一員で唯一今回も出演したグバノヴァも元ウィーンのアンサンブルのダニエルも演出に馴染んで好演してました。

 マルケ王は本来ならアンサンブルのパーペが歌うのでしょうが、劇場のオープンが遅れて予定がずれたのに全てのスケジュールを合わせるわけにもいかなかったのは想像に難くありません。ミリングは大柄な人で貫禄のある歌いっぷりは文句なしでした。

 もう一つ演出で気になったのは紗幕が終始かかっていたこと。平土間でみているかぎりは視覚的にほとんど問題はなかったのですが、歌手にとって良いことは何もないのではないかと疑問です。

 カーテンコールは賞賛に溢れてましたが、惜しむらくは最後の一音が終わったとたんの半泣きブラヴォー。。。。平土間に座る多くの人達があきれ顔あるいは苦笑いで声のあった方を恨めしそうに振り向いてました。

 
 
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