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トリスタンとイゾルデ・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・2014/12/28 [オペラ]

MUSIKALISCHE LEITUNG  Daniel Barenboim
INSZENIERUNG  Harry Kupfer

TRISTAN  Peter Seiffert
KÖNIG MARKE  René Pape
ISOLDE  Waltraud Meier
KURWENAL  Roman Trekel
MELOT  Stephen Chambers
BRANGÄNE  Ekaterina Gubanova
EIN HIRT | STIMME EINES JUNGEN SEEMANNS  Florian Hoffmann
EIN STEUERMANN  Maximilian Krummen
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 リンデンが改修工事に入ってからリンデンでワーグナー漬になる機会を失って久しく、ここシラーでワーグナーを聴く機会もなく時が過ぎてしまってました。こうもりだのヘングレ、たまにボエームといった季節ものだらけの年末年始にこのトリイゾがあったのは幸運と思えたのですが、そのためにスカラの『フィデリオ』は年末年始前に終わってしまったのですから、2兎を追えなかったのは残念な気もしたのでした。

 それにしてもシラーはワーグナーにはどう考えても小さく、鳴りすぎを抑えて編成数を減らせばバランスよく各楽器数を減らすことは不可能なのでオケのバランスが崩れる。オケのバランスを考慮すれば鳴りすぎになる。どちらにしても批判を言う人はいるだろうと思われ、どうするのかと思っていたら、なんとオケピをバイロイト方式にして観客席側には音があまり飛ばないように上部が舞台側に湾曲している壁を作るという工夫がしてありました。そのため指揮のバレンボイムが入ってきたのも見えず、客席が暗転して拍手のないまま演奏がはじまりました。
 セットである天使はリンデンでは余裕で舞台の中央に納まっていたのに、シラーでは端から端まで羽があってシラーの小ささを改めて目の当りにしながらの公演でした。
 オケピから流れ出る音はリンデンのときは渦を巻くような流れを感じるものでしたが、シラーでは頭上に降り注いできても流れるような感覚がないのはデッドすぎるせいかもしれません。劇場の小ささは歌手にとっても声を響かせるのに十分なものでしたが、リンデンのときよりも歌い崩すように歌う場面が散見されたのは歌手が浴びる音は客席側よりも大きいので、声を出しやすいように歌っているのかと思われたのですが・・・・どうもそれだけではなさそうな、ただならぬ緊張感を徐々に感じたのと同時に、マイヤーかザイフェルトのどちらかが歌わないようになったらこの溺れそうなトリイゾはもう聴けなくなってしまうのかという考えも浮かんできてしまったのでした。
 そして一幕終了後にマイヤー&ザイフェルトがカーテンコールに出てきたとき、マイヤーがぐるっと観客席を見渡す姿に、もしかして???という予感は予感だけではなさそうだと気づきつつ、それを頭の中で否定しようとする自分もいたのでした。
 歌手の人たちの渾身のパフォーマンスは、後になって思えば、マイヤーがイゾルデをベルリンで歌う最後の公演を最高のものにしようというものに違いありません。
 『愛の死』を歌うマイヤーの姿があまりに美しく、最後に倒れたときは本当に死んでしまったと涙がでました。

 最後のカーテンコールで予感したとおりセレモニーがあり、マイヤーがベルリンで歌う最後のイゾルデだったということをはっきりと告げられたのですが、バレンボイムから「あなたはどう歌おうか、どう演じようか考えてはいなかった。あなた自身がイゾルデなのだから。」とメッセージがあり、本当にその通りと思ったのでした。
 予想していなかった事態に喪失感が大きく、この公演に接することができたことを幸運と言うのも複雑な気がしましたが、誰でも何事にも最初があり最後があるものです。ベルリン最後のイゾルデに立ち会えたことは幸運以外のなにものでもないでしょう。
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