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パルジファル・・・Gran Teatre del Liceu・・・2011/2/20 [オペラ]

パルジファル.JPG
ケーニッヒ、フォークト、ヘルド、ジェルクニカ
プレミア初日で出演者全員に花束が渡されました。
大柄なケーニッヒとヘルドがすごく嬉しそうにしているのがカワイイ・・・

Conductor Michael Boder
Stage direction Claus Guth
Scenography Christian Schmidt
Costumes Christian Schmidt
Lighting Jürgen Hoffman
Choreography Volker Michl

Parsifal Klaus Florian Vogt
Kundry Anja Kampe
Amfortas Alan Held
Gurnemanz Hans-Peter König
Klingsor John Wegner
Titurel Ante Jerkunica

モンサルヴァート城が舞台の「パルジファル」はある意味ご当地オペラ、舞台神聖祝祭劇です。
昨年の聖金曜日にジュネーヴで観た「パルジファル」と同様タイトル・ロールはフォークト。
[猫]が不思議くんと呼ぶ人ですが、「アンフォルタス」の響きとパルジファルへの変身ぶりには圧倒されたものでした。

さて今回は・・・・
少々・・・いえ、だいぶ様子が違いました。
しかし、帰国の途中で思い返したとき[ひらめき]感動を新たにしたのでした。
つまり一度で二度おいしい公演だったわけですが、今後この公演をご覧になる予定で2度おいしい思いを味わいたい方は読まないで下さい。
勘の良い人は二度じゃなくて一度で分かるでしょうが^^;


今日も座席は最前列[手(チョキ)]
昨年のジュネーヴのパルジファルでは最初からカーテンコールまで紗幕が開くことはなく、イラっとしたこともあったのでした。
ボーダー指揮の演奏は早くなく、遅くもなく、しかしすぐに物語に集中させてくれました。
紗幕のかかる舞台でスーツ姿の男性が3人が話し合ってますが、一人怒るように部屋を飛び出します。
また紗幕かい[たらーっ(汗)]・・・最初だけでホッ・・・最近多すぎ・・・紗幕恐怖症。
飛び出したのはクリングゾル、他の二人はティトレルとアンフォルタスでしょう。

舞台は軍の病院、4つのシーンに分けられた回転舞台のセット、2階建てになっている部分もあります。
映像は各幕の最初に歩く人の足の映像が映し出されますが、それだけで斬新さはない極めてアナログな舞台です。
パルジファルセット.JPG




時代は2幕で女性達がパルジファルに絡む場面での衣装からして30年代。
最初は時代設定だけ30年代にしたもので、聖杯を守る騎士団ということで軍人の制服を着せただけかと思っていたのですが・・・・

グルネマンツは牧師。
ケーニッヒはそれはそれは素晴らしく・・・・
大らかな声、苦悩の表情で目の前で歌われたものだからジーン・・・・
パーペ危うし・・・この前のコンサート・ヴァージョンなんて「なんちゃってパルジファル」だったと思ってしまうほど・・・・パーペ!またオペラのフルヴァージョンで歌ってくださいな!オペラで聴いたのはもう3年前だから印象が薄くなってしまう・・・・

パルジファルのフォークト、登場時の格好には思わず笑みがもれます。
白いヨレヨレの半そでシャツ、手に枝で作った弓を持ち、背中とシャツの間に木切れの矢を挟んで背負ってます。
小さい頃プラスティックの刀、又は物差しを背中に背負って「忍者部隊月光」ゴッコしたのを思い出し・・・分かる人には分かる・・・分からない人には分からない・・・・^^;
さてパルジファル、コイツが全くもって・・・どこから来たかなー・・・・
コイツというのも失礼ですが、今回も純粋で透明な声は「清らかな愚か者」以外の何者でもない、この別世界感こそフォークト最大の魅力です。
ポワーっとした金髪の美少年・・・・
当然一幕は愚か者のままで終わり・・・
2幕登場時には両手が血で真っ赤・・・未だ無益な殺生を続けている愚か者だという意味かとも思ったのですが・・・・?
魔女達に誘惑される場面はなぜか男性もいるパーティで、女性達だけ外へ出てパルジファルをからかうという設定・・・妖艶な魔界の雰囲気はなく、むしろ明るい・・・・
クンドリーがパルジファルの生い立ちを歌う場面では・・・おそらく回想シーンでしょう・・・上からブランコが降りてきて無邪気に乗ったり、下に落ちている小枝とひもで機用に弓を作ったり・・・これでもか!というほど純粋で愚かな少年の面が強調されます。
そこまで強調しなくても・・・というところではあるのですが、フォークトの様子が本当にかわいいので・・・
OK,OK。
クンドリーは強引にパルジファルを押し倒しブチュ~~~~・・・・・結構長い・・・
一生懸命クンドリー姐さんを跳ね除け・・・・
変身「アンフォルタス」の響きはさすが・・・
でも初めて聴いたときのように固まるようなインパクトではありません。
2回目だからこちらも身構えていたせいもあると思ったのですが、
その後のフォークトの様子も声から意識が変わったのは伝わりますが、昨年のような圧倒的な変身ぶりではありません。
クンドリーの歌の勢いに腰を抜かしてしまったりします・・・アレ?・・・まだ少年・・・
これではクリングゾルに槍を投げられたらどうするんだ!?!?
階段上から槍をパルジファルに向けるクリングゾル・・・・
パルジファルはただクリングゾルをじっと見つめ、いや見つめていたのは聖槍!?
一歩一歩ゆっくりと・・・力むことなくなく・・・穏やかに・・・聖槍に惹きつけられるかのごとく・・・・階段を上り・・・・クリングゾルに近づく・・・
金縛りに合ったようにワナワナと震え出すクリングゾル・・・
槍はパルジファルの手に・・・
その場でガクッと力なく階段に腰を下ろし頭を抱えるクリングゾル・・・クリングゾルは魔界の人ではない!?!?・・・・・悩める人間!?
目に見えない不思議くんパワーか!?!?
parujifaru2.JPG

2幕終了後のカーテンコール
カンペ、フォークト













2幕終了段階では人間界の話のようだと思いながらも、魔界の雰囲気があったほうが良いのに・・・とも思ってました。
しかし、3幕ではっきりと現実の人間の話だと分かり、この演出の良さが分かってくることとなります。
荒れ果てた建物、軍用の目だし帽で顔を覆い、汚れた長いコートの軍服姿、足は裸足、フラフラになった帰還兵のように、しかし聖槍はしっかりと握りしめ登場するパルジファル・・・
3幕はいつも集中が途切れがちになってしまうのですが、今回はこの3幕こそパルジファルの変貌ぶりが伝わり、集中が途切れることはありませんでした。
穏やかな中に意志の強さを内包した歌声は清清しく、凛々しい。
清らかな愚か者だった少年は戦渦の中、放浪の果て、立派な青年に成長したのです。

クンドリー役のカンペはインパクトのある歌唱で存在感充分。
途中まで人間の話だと気づきにくかったのは、2幕のクリングゾルとの対峙の場面、階上でクリングゾルが歌いながらあやつり人形のように下の階にいるクンドリを動かしているような演出で、ちょっと魔界の雰囲気があったからです。
強く激しくパルジファルを誘惑するクンドリ・・・・
3幕はフラフラのパルジファルをいとおしむように足を洗い、洗礼を受け、涙を流す・・・・。
最後は誘惑した時に着用した衣装を燃やし・・・死なないどころか・・・
聖杯、聖槍が掲げられ、パルジファルに皆が忠誠をあらわす場面で、舞台右手に大きなスーツケースを持って現れ、階上にいるパルジファルとしばらく見つめあい・・・・足早に舞台左手に去る・・・・な・なんと?失恋映画の一場面のよう・・・・


アンフォルタスのヘルドも松本の「サロメ」で聴いたときより格段良く、傷の痛みに苦しみ、長としての苦悩に精神を病みつつあるのが手に取るように伝わります。
パルジファルに皆が忠誠を誓う場面、憑き物が落ちたようにアンフォルタスは一人皆から離れ、父親であるティトレルが寝ていたであろうベットを見つめ、外にでるとベンチにクリングゾルが座っている・・・?!?!
目をそらしバツが悪そうに下を向くクリングゾルの肩にアンフォルタスが手を置くと、クリングゾルはホッとしてお互い手をとる!・・・幕


ティトレル役のジェルクニカは若い人に見えましたが、父親としての威厳をしっかり印象づける歌唱を披露しました。
聖杯の儀式を要求する場面はアンフォルタスの元から聖杯を持ち出し、一人籠って聖杯から何か飲むような仕草をします。

クリングゾル役、スーツ姿のウェグナーは歌もなかなかでしたが、槍をパルジファルに向ける場面、最後アンフォルタスと手を取り合う場面の演技は印象的で[ひらめき]の後は名演だったと感心しました。

人間の話にしてしまうと神聖さが乏しくなると不満に思う人もいるかもしれませんが、ボーダー指揮の演奏とフォークトの清らかな声は癒しと救済というパルジファルの世界を深く物語るものでした。

あっという間の5時間
カーテンコールはブラボーで特にフォークト、ケーニッヒ、カンペは賞賛されていましたが、演出チームが出てきたときにはブラボーと同時にブーイングも聞かれました。







次の日早朝出発しなくてはならず、ロンドンからの皆さんとお別れしてこの日はすぐ就寝。

帰りの飛行機で・・・・
[ひらめき]カタルーニャ[ひらめき]スペイン内戦[ひらめき]フランコ政権
カタルーニャには抑圧されていた暗い時代がありました・・・・
それに気づいたとき、いろんなシーンがよみがえり、全て自然で納得のいくものとなりました。
そしてこの演出を理解し、歌い演じきった出演者達が素晴らしかったと改めて思いました。

パルジファルは戦渦の中で生まれ育った若者
クリングゾルは同じカタルーニャ人でありながらフランコ政権に加担してしまった人
クンドリーはクリングゾルのスパイ
ティトレルは戦渦の中、カタルーニャ語の公用語としての復活、自治の確立を願いながら死んでいった長老

聖杯はカタルーニャ語でしょうか・・・公的場での使用は禁止されたそうですが、独裁政権下でも民事行事、宗教行事では認められていたようです。
聖槍は?・・・・愛国心でしょうか・・・信仰でしょうか・・・

2幕パルジファル登場時、両手が血で真っ赤に染まっていたのは戦渦で多くの命が失われているということだったのでしょう。
クリングゾルがパルジファルに槍を放てなかったのは同郷の少年にそんなことはできるはずがないということと、心の中までは抑圧できないということでしょう。
クリングゾルも苦悩の人であり、最後はパルジファルに癒されたアンフォルタスによって癒されるのです。

幼いパルジファルは自分自身のアイデンティティーに気づき、愛国心に目覚め、愛国心たる聖槍を手放すことなく成長し、戦渦の中亡くなっていったティトレル達の世代の意志を引き継ぎ、終には失っていたものをとりもどしたのです。

2度おいしいというのも単に・・・気づくの遅いよ!・・・ですが^^;
演出にブーをした人達はおそらく気づかなかったのでしょうが、カタルーニャの人達はすぐ理解したはず。
気づいていても、中には政治的なものをオペラに持ち込んだのがイヤだった人、暗い時代を思い出したくない人もいたかもしれません。

でもこの演出の本質はもっと根源的なものにあるような気がします。
人間は愚か者、しかし癒しも救済も人間によってもたらされる・・・人間のさまざまな苦悩と愛がつまったイイ演出じゃーありませんか!
と未だ一人余韻に浸っている・・・オメデタイ[猫]

グルネマンツはひもを手に持ち、時々手帳を取り出して何かを書く仕草をするのですが・・・
ひもについては今も理解できてません^^;
でも手帳は次の世代に伝えていこうという意志の表れ。
この演出は置き換えというよりも・・・
「パルジファル」は聖杯伝説ですが、このカタルーニャの人々が経験した争いと同じような、太古の争いの伝承も含まれているのではないでしょうか?
伝承を元にもどしただけ・・・解凍しただけのような気もします。



不思議くん、フォークトはジュネーヴのあっと驚く大変身のパルジファルも良かったですが、カタルーニャの青年パルジファルも見事に歌い、演じきりました。
次はどんな面を見せてくれるでしょう。
どんなパルジファルでもフォークトの癒しのパワーは「そのまんまパルジファル」でしょう。

来年の新国の「ローエングリン」は息子・・・・楽しみです。

「ローエングリン」の実演は観たことがありません。
ペーター・ホフマンは「パルジファル」の映像が残ってなく、「ローエングリン」がしっかりと焼きついている身としては・・・・
フォークトの「パルジファル」は、「スターウォーズ」のように、エピソードが逆に見せられているような感覚にもなるのです。


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コメント 8

レイネ

なるほど、ご当地版『パルジファル』、面白そうです。バルセロナでしかぴんと来ないかもしれない演出・解釈ですが。
マドリッドの国立歌劇場で2005年に上演された『ドン・ジョヴァンニ』をTVで見たんですが、やはりフランコ政権下という舞台設定でした。ドン・ジョヴァンニは妙になぞめいた陰のある人物で、フランコ時代に暗躍した悪人であることが最後にわかる仕掛けでした。これも、ご当地ものだからこその解釈。

来シーズンは、アムスでも新プロダクションの『パルジファル』やるので、楽しみです。

by レイネ (2011-02-28 15:18) 

kametaro07

レイネさま
>バルセロナでしかぴんと来ないかもしれない演出・解釈ですが。
そうですね。
今回はバルセロナという地と30年代の衣装がヒントになってパッと視界が開けましたが、いつまでたっても分からない演出もあります。
この「パルジファル」は???が残ってとしても歌手の人達も演奏も良かったので満足できる公演だと思います。
>アムスでも新プロダクションの『パルジファル』
ほとんどパルジファル・オタクなのでレポ楽しみにしてます。
by kametaro07 (2011-02-28 23:22) 

galahad

演出の意図がぱーっとわかるなんて気持ちがいいでしょうね。 私はおバカだからいつまでたってもわかんないわ、きっと。 モンセラートにも行き損ねてるし、またバルセロナに行きたいな~。 このパルジファルも観てみたいです。 ビデオもばっちり撮れてて素敵。 フォークトさん、今年のバイロイトもローエングリンですね。(カウフマンにオファーはやめたみたい) 
by galahad (2011-03-01 21:28) 

ペーターのファンです。

このパルジファルは観たいと思います。一番上の写真、花束を持った歌手たちの表情が舞台の成果を語っているようで。レンガ積み職人で放火魔のローエングリンなんかより、これをぜひ日本公演に・・・。祈ることにしましょう。

フォークトのローエングリンは聞いておこうかと思案の最中です。
by ペーターのファンです。 (2011-03-01 22:01) 

kametaro07

galahadさま
知識豊富なgalahadさまが何を仰いますか!
私は今回は気づきましたが、分からずじまいな公演も多々あります。
この公演は分からない部分があっても充分に満足できるものです。
ビデオはもっと大きく載せたいのですが、できなくてスミマセン。
カウフマンは昨年のバイロイトのように無謀ともいえるスケジュールで途中から歌えなくなるようなら歌わないほうが良いと思います。
彼の良さはワグナー以外の方が発揮できる気もしますし・・・。


by kametaro07 (2011-03-02 00:45) 

kametaro07

ペーターのファンです。さま
この演出は苦難を乗り越えたカタルーニャの人々への賛歌であると同時に、暗い時代に立場を分かつことになってしまった人達も共に未来へ歩んでいこうという意志表示でもあると思います。
ジワーっと胸に沁みる公演で、映画にしても良いくらい・・・。
そういえばリセウの日本公演というのは聞いたことがありませんが、DVDにでもなりませんかね。

>フォークトの「ローエングリン」
ペーター・ホフマンのような深い味わいを望むのは難しいかもしれませんが、フォークトのひたすら純粋で穏やかな声は美しいローエングリンを見せてくれると思います。

by kametaro07 (2011-03-02 00:47) 

Sheva

今ようやくちゃんと読ませていただきました。これはスゴイ!今やっと私もわかりました。そうだったのお~~~!!!????だったらグートさんもプロダクションノートにあんなわかりにくいこと書かずにはっきりスペイン内戦と書いてほしかったわ。それをしなかったのはもっと普遍的な作品にしたいという思いがあったからと、日本人はスペイン内戦を理解は到底できないだろと思ったからじゃないでしょうか。後者はあたしの場合当たってますけど…(笑)。世界史現代史の盲点と言うかそこまで学びませんもん…。本当Kametaroさん神ですよ~!
by Sheva (2012-09-20 12:30) 

kametaro07

Shevaさま
この演出はリセウとチューリッヒの共同制作なので、グートさんは最初から地域限定ということでなく制作したと思います。
プロダクション・ノートも見たわけでなく、あくまで個人的な解釈ですから正しくないかもしれません^^;
ただバルセロナという地ではカタルーニャの歴史と重ねるのが自然でした。
フラフラになって聖剣を持ち帰った姿と、最後フォークトさまが歌った“Nur eine Waffe taugt”の歌詞が凄く説得力を持ち、感動的だったので、救済者のイメージが強く、独裁者の印象につながりませんでした。

なお、カメはカミではありません_(._.)_ 


by kametaro07 (2012-09-21 21:26) 

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